まだ日も高いうちから、留三郎は自室にこもって根をつめていた。医務室の当番を終えて伊作が戻ってきてもまだ丸めた背中が見えている。
「あんまり無理しない方がいいんじゃないのー。昨日完徹でしょ?何してるかしらないけど能率も上がらないんじゃない?」
あまりの事に休むように忠告をしても、生返事が返ってくるだけで顔をあげることもしない。
やれやれと思いながら、もし今晩も寝ないつもりなら背後から殴ってでも眠りに着かせてやろうと少々物騒な事を計画する。
茜色の空もすぐに暗くなり、夕飯の時刻になっても留三郎は立ち上がる気配も無い。いい加減本気で怒ろうかと伊作が立ち上がりかけたところで、留三郎の腹から搾り出すような声が響いた。
「とれたぁああああああ〜」
その直後に、どさりと音がして何事かと覗き込んだ伊作が見たものは、そこら中にとぐろを巻く縄とその中で仰向けに寝転がる留三郎の姿。
縄を目で追っていけばその先についているのは鍵爪だった。
「鈎縄?って、ちょっとそんなとこで寝るな!ご飯食べないの??ねーってば!…だめだ…熟睡してる」
よほどこの作業に熱中していたのか、疲労の色の濃い寝顔を見て、起こすべきか起こさないべきか判断に迷ってしまった。
そこへ、静かな足音がして部屋の外に誰かが来たのを察する。気配からして同級生でもなくどうやら教師の誰かのようだ。
「食満君いますか?」
穏やかにかけられた声に扉を開ければそこには用具委員会顧問の吉野の姿。
「あ、留三郎なら…ちょっと!おきてよー。吉野先生来たよー!!」
慌てて大声を出しても、熟睡する留三郎は一向に起きる気配は無い。幾ら用具管理主任とは言え教師の前で寝て、なおかつ起こしても起きないほどの熟睡ぷりはどうだろうかと伊作は冷や汗をかくが、吉野はにこりと笑って部屋の奥を覗き込んだ。
「おやおや、すばらしい。よくこれほどけましたねー。よっぽど頑張ったんでしょうか」
何やらこの散乱した鈎縄について言っているらしい。
「あ、えーと。なんか昨日も徹夜してたみたいですけど…」
「そうですか。ではこれは預かります。寝かせておいてあげなさい」
そう言ってそっと鈎縄を拾いあげると丁寧に巻き取っていく。
「あのー」
「ああ、これこの間小松田君が物凄い絡ませてしまいまして。もう絶対に解けないと諦めていたんですけどね。食満君がなんとかやってみるというのでお任せしたんですよ。いやあまさか本当に解いてしまうとは思いませんでした。ありがとうと言っておいて下さい」
吉野の説明で伊作はやっと合点がいった。これも用具修理の一環だろうか。使えなくなったものを使える状態にするという事では同じかも知れない。ムキになってやり遂げる辺りがこの男らしいと、吉野に言われたとおり、このまま寝かせておく事にする。
とりあえず食堂へ行き、ついでに留三郎の夜食を頼んでもらってきておいた。
「まあ、せいぜいそのクマが消えるまで睡眠はとったほうがいいでしょ。どっかの誰かみたいに消えなくなったら困るし」
 
 
翌朝、どうやら夜中に一度目が覚めて夜食を摂ったらしい留三郎が伊作に礼を言う。
「鈎縄は吉野先生が持ってったよ。ありがとうって言ってた」
「そっか…」
まったく気がつかずに寝ていた事が不覚だったらしい留三郎に、吉野が感心していたことを伝えて、そう気落ちするなと言ってやる。
「それにしても、吉野先生も投げ出すほどの絡まり方って凄いね小松田さん」
「ああ、凄かったぞ。もうどこから手をつけて良いか分からなかったし、途中で何度引きちぎろうかと…」
「あはははっ。でもそれ解いちゃうなんてすごいねー」
「最後はもう半分意地だな」
「これから、小松田さんの後始末全部回ってきたりして」
「…勘弁してくれ」
くだらない話をして、いつもどおりの一日を過ごす。
放課後には昨日は休みだった委員会活動もある。ちなみに鈎縄解きは個人的に請け負っただけである。
時間通りに倉庫へと向かえば、珍しくしんべヱが既に立っていた。その横には顧問の吉野も機嫌が良さそうに立っている。
「吉野先生。どうかされたんですか?」
何か特別な作業でも入っただろうかと思えば、そうではないと首を振るその横でしんべヱがだらだらとよだれをたらしている。
「あのねー、吉野先生がお饅頭差し入れてくれるんですってー」
「ええっ?よろしいんですか?」
「ええ。あの鈎縄のお礼ですよー。完全に諦めていましたから」
眼前に差し出された風呂敷包みいっぱいのお饅頭にしんべヱの口からは涎が止まらない。
「ありがとうございます」
ここは素直に受け取って、後で皆でありがたくいただく事にした。きらきらと目を輝かせたしんべヱをなだめすかして、合流した作兵衛、喜三太、平太と共に委員会を始めるのであった。
 
「さーて。おしまいだっ!」
「「わあいっおまんじゅうっ!」」
今にも飛びついて行きそうなしんベエと喜三太を制して、一つ頼み事をする。
「吉野先生を呼んで来てくれ。よろしかったら一緒に食べましょうってな」
「はいっ!」
その内容を嬉しそうに聞いて、二人は急いで駆け出して行く。
残った三人でお茶の準備をして、しんべヱと喜三太が吉野を連れてくるのを待った。
やがて両手を引かれた吉野が戸惑いながらもやって来て、準備された様子に眉尻を下げる。
「どうぞ」
「よろしいんですか?では私も混ぜていただきましょう」
生徒達の間に座り込む教師の姿はそれは微笑ましく、丁度そこへ通りがかった生徒達は、さすが用具委員…と苦笑を禁じえない様子で通り過ぎていった。
「いただきます」
そんな掛け声と共に、一年生三人と作兵衛がまず饅頭に手を伸ばす。一口かじりついてから幸せそうに改めて吉野に礼を言う。
「いえいえ、こちらこそ諦めていた鈎縄を直してもらった御礼ですからね」
先に茶を啜っていた吉野が鷹揚に返し、彼もまた饅頭に手をつけた。
その間にもしんべヱはあっという間に二つ三つと饅頭をたいらげている。作兵衛は一つを食べ終わって茶を飲もうと目の前にあったはずの湯飲みに手を伸ばそうとした。
「あれ?俺のお茶が…」
「え?ちゃんとそこに置いたろ?」
困惑した作兵衛の声に、ひいふうみいと数を数えればちゃんと人数分揃っている。
何かがおかしいなあと思ってよくよく見れば、吉野の手の中に一つの湯のみ。そうして彼の目の前にももう一つの湯のみがあった。
作兵衛の隣に座っていたために間違えたのだろうと思い一応声を掛ける。
「先生、それ作の湯のみですよ。先生のはこっちです」
並んだ二つの湯飲みの取り違いなどよくある事だと笑いながら言ったのに、言われた方は心底驚いた顔を見せる。
「え?…あ、そうでしたか。ああ…富松作兵衛くんの…ははは」
驚いたすぐ後に富松の顔をまじまじと見ておかしそうに笑った吉野に、一堂はきょとんとした表情を浮かべた。
「いえいえすいません。この湯飲みに名前が書いてあったものですから。つい私の分かとおもってしまったんですよ。」
「あ、そうか。吉野先生のお名前って作造でしたねー」
「それじゃあ、今度は吉野先生用に、『よし』って書いた湯のみを用意しておきましょうよ」
「お、しんべヱいい案だな」
しんべヱと留三郎のやり取りに吉野は目を細める。また次の機会があるのかと、自然と仲間にいれてもらえるのは嬉しい事ですねと口元も緩む。
「では、その時にはまた美味しいお茶菓子を差し入れしますよ」
「えー?本当ですか?うわーい!」
喜ぶ後輩達を尻目に、しきりに恐縮しまるで催促したようだからと遠慮をする留三郎の頭にぽんと手のひらを乗せる。
「いいんですよ。いつもいつも助かってますから」
数回ぽんぽんと叩いて。それは最上級生に対する扱いではなかったけれども、自分にとっては六年生も何も関係なく可愛い生徒には違いないのだという気持ちを込めて。たまには甘えなさいと口には出さず。
その意を正確に汲み取って、留三郎は頭を下げた。その頭を上げたときには口元に年相応の笑みが浮かんでるのを見て吉野も満足げに笑う。
こうして、用具委員名物の、おやつの時間が生まれたのであった。 

 
 
おまけ:
 
喜「『よし』じゃ、与四郎先輩が来たときに間違えそうですねー」
作「それって喜三太の前の学校の先輩か?」
喜「そうでーす」
作「いや、来ねぇだろ」
喜「前に一回来ましたよ」
作「来たとしても、なんでうちで茶飲んでくんだよ。ありえねえから大丈夫だって」
喜「えー、そうかなあ」
作「そうそう。ねーって」
 
 
 
++++++
後に「すず」湯飲みが増えたかどうかは定かではない。