| 当番
で医務室を訪れた時に乱太郎は、小さな声で呟いた。 「ああ、なるほど」 同じく当番だった伏木蔵も、聞こえるか聞こえないかの声を漏らしていた。 「あー、そういう訳か」 その後一年生二人と入れ替わりにやってきた、数馬も納得したような顔で言う。 「ああ…そっか」 数馬と同じ当番だった左近は首を傾げ、今日は一日医務室に常駐していた伊作を見た。 伊作も一年生二人までは特に気にする事もなかったのだが、さすがに三人目とあっては疑問に思い、当番が終わって戻ろうとする一年生をひき止め、次の当番で ある三年生と一緒に一体何事なのかと尋ねるのであった。 「あ、えーとですね」 乱太郎が眼鏡をなんとなくいじりながら小さな声をだす。医務室の奥で横になっている人物に気を使っているようだ。 そんな乱太郎が話した内容は。 *** *** *** *** 「うわああああん、乱太郎!」「乱太郎ー!」 しんべヱの鼻水はいつもの事だが、今日はそれだけではなく涙つき、ついでに喜三太も同じように涙目で乱太郎の元へと駆け込んできた。 「うわわわわわ、何?どうしたのー?落ち着いてよ二人とも」 二人に激突される形になって思い切りしりもちをついた乱太郎は、いたたたたと背中をさすりながら立ち上がる。 「あ、ごめん乱太郎。あのね、風邪ひいたら、どうしたらいいの?」 「なめさん差し入れしたら喜ぶかな?」 取り乱した様子で乱太郎に迫ってくる二人をなんとか押し留めて、とりあえずナメクジツボを顔に押し付けるのを止めさせた。 「風邪?差し入れって事は二人が引いたんじゃないんだ」 「うん。風邪ひいちゃった人に早く良くなって欲しいなあって思って」 「そのためにはどうしたらいいか、乱太郎なら保健委員だから分かるんじゃないかなーって聞いてみたの」 そういう事ならと、まず最初にナメクジを差し入れてはいけない事だけをきつく言って。 「うーんとね、消化のいい栄養あるご飯を食べてー、暖かくして寝るのが一番だよ。あとお見舞い行きたくても静かにして寝てるのがいいからね」 一応ごくごく当たり前のことを言ったと思うのだが、なぜだか二人はとても残念そうな顔をする。 「…そっかあ…じゃあお見舞い行かない方がいいかな」 「うん…僕達いっつもうるさくしちゃうもん。美味しいご飯なら食堂のおばちゃんが作ってくれるだろうし…」 自分達にできる事は何もないなあと、途端に意気消沈してしまう二人を乱太郎は必死で慰めるのであった。 「でもほら、『良くなって欲しい』って二人が思ってるのは伝わるしー、そうすると風邪ひいちゃった人も早く治そうって頑張って本当に早く治っちゃったりす るよ」 「本当?」 「うん」 やっと安心したような顔を見せて、二人はそのままどこかへと急いで行ってしまった。 そんな後姿を見送って、そう言えば、誰が風邪ひいたんだろうと首を傾げながら委員会活動をするために医務室へとやってきた乱太郎であった。 ** ** 乱太郎の話が終わると、伏木蔵もこくんと頷いて自らの経験を語る。 「僕は、平太に呼び止められたんです。同じ組の。で、やっぱり風邪には何がいいの?って言われて…僕も乱太郎と同じような事言いました…」 その後やはり平太はどこかへと走り去っていったという。 「ふーん。じゃ数馬は?」 「えーと、僕はですね…同じクラスではないんですが」 と話し始めた。 *** *** *** *** 「かーずーまぁぁぁぁぁ!」 「うわああああ」 思わず反射的に逃げそうになるほどの気迫が後ろから迫ってきたかと思うと凄い力で肩を掴まれた。 ひぃぃっと思いながらも振り返るとそこには必死の形相をした同級生の姿。 「さ、作兵衛…一体どうした?」 尋常ではなく取り乱した様子の彼に問えば、こちらの話が耳に入っているのかいないのか。掴んだ肩を放すどころか、がくがくと前後に揺さぶってくる。 「ちょ、ちょちょちょっと!」 「なあ!風邪って万病の元なんだよな?風邪から変な病気になったりとかする事あるんだよな?ああ、どうしようー!数馬!お前保健委員だろ?風邪は何すれば 治るんだ?お払いか?水垢離か?お百度参りかー?」 「ままままままて、落ち着け!」 とりあえず、方向性が著しく間違っている。 見かねた通りがかりのクラスメイトが作兵衛を引き剥がしてくれた頃にはゆすられすぎて頭がくらくらとしてきた。 「あ、すまん…つい」 「いや…。ともかくお払いとか水垢離はやめておけ。お百度参りも。ていうか水垢離なんかしたらお前が風邪ひく」 「そうなのか…じゃ、どうすれば治る?」 一応落ち着いたらしい作兵衛は殊勝な顔つきで改めて尋ねてくるものの、数馬もこれといって決め手となる事は言えなかった。 「んー、風邪はなあ…症状によるけど。やっぱり栄養とって、暖かくして、安静にしてるのが一番だと思うよ。ねぎやしょうがもいいらしいから、食堂のおば ちゃんに頼むと良いかも。あ、あとみかんも風邪にいいらしいって聞いたことあるなあ」 結局ありきたりの事しか言えなかったが、数馬の言葉が終わるか終わらないかの内に、作兵衛は「そうかっありがとう!」と言い残し踵を返し走り去ってしまっ た。 後には、呆然と立ち尽くす数馬のみが残されていた。 ** ** 「…という訳です」 内容は乱太郎や伏木蔵とほぼ同じであるが、さすがに数馬の与えた助言は一年生達のものよりは多少具体的なものだった。 大筋は同じ三人の報告を聞いて、伊作と左近はやっと納得したような顔を見せる。この三人が医務室で一様に声を上げた訳が分かった。 「なるほどねえ」 あはははははーっと小さな声で笑った伊作が、左近の耳に口を寄せて小さな声で何かを言付ける。 「はいっ」 それに短く返事をした左近は、静かに立ち上がると医務室を出て行った。 「乱太郎も伏木蔵もひきとめてごめんね。お疲れ様ー」 「しつれーしまーす」 当番の終わった二人が医務室を出ると、伊作は数馬にその場を頼み医務室の奥へと引っ込んでいく。 奥と言っても薄いついたて一枚隔てたそこには、一人の風邪っぴきが担ぎ込まれていた。 目を閉じて眠っているかのように見えるその男に伊作はにーっと笑って声をかける。 「聞こえてたんでしょ、留三郎」 三人の声は彼を気遣って小さなものだったけれども。 聞こえていないはずがない。 その証拠にさして驚いた風もなくゆっくりとその目が開いて伊作を見た。 「風邪ひいてる事に気がつかないで悪化させた挙句に、授業中に担ぎ込まれた事、もう後輩に知れ渡ってるみたいだね」 からかうように…否、実際は何度言っても懲りない留三郎に少し怒っているのかもしれない…伊作が言えば、苦虫を噛み潰したような顔が向けられる。熱の所為 なのか、少しぼうっとした瞳が伊作を睨みつけてはいるものの、口元が僅かにゆがんでいる。 「…そんな顔してるくせに口元が緩んでるよ」 情けない反面、後輩達の行動が嬉しくて仕方がない、そう顔に如実に出ている。 そこへまた静かに戸が開く。 「伊作先輩。ありました」 その声に入り口を振り返れば左近が風呂敷包みを抱えて立っていた。 「ありがとう。さて、留。さっき左近に僕達の部屋にお使いに行ってもらったんだよ。きっと置いてあるだろうなって物を取りに」 でも、これは予想以上だったーっと伊作が左近から受け取った風呂敷はずっしりと重い。 「お見舞い我慢して、風邪に効くみかんを山ほど差し入れかあ…泣かせるね」 にっこり笑ってそれを留三郎へと差し出した。 「こりゃ、何が何でも治さないとねー」 受け取るために上半身を起こした留三郎に、中身を一つだけ放って。 「ちょっと待って。それ食べる前にコレ」 ぐいっと差し出されたのは嫌な匂いを放つ薬湯。露骨に嫌な顔をする留三郎であったが、伊作は有無を言わせない。 「あのね、実はそれは僕が煎じたものじゃないんだよ」 それを聞いて思わず受け取ってしまった留三郎に「それどういう反応?傷つくなあ…」とからかってから。 「新野先生から…正確には吉野先生に頼まれた新野先生からの特製煎じ薬の差し入れ」 とりあえず建前は、色々と用具管理が立ち行かなくなるとか小松田が倉庫を荒らしてしまったから等々言いながら、保健医に頼み込んでいた用具管理主任の姿を 思い出して伊作は笑みを深めた。 喉が痛いので何も言い返せないのを良いことに、伊作は完全に優位に立っている。尤も風邪を引いたのもそれを悪化させたのも自業自得であるし、伊作がいう事 も正論ではあるので、甘んじて受けるしかない。 それ以上に、後輩及び担当顧問からの気遣いが嬉しいやら気恥ずかしいやら、迷惑かけてしまった事に申し訳ないやら。 「まあ皆への礼と侘びは、早く元気になる事で返すんだね」 この上もない正論で持って止めを刺され、留三郎は手の中の薬湯をぐいっと一息に飲み込んだ。 口の中に広がる強烈な味をなんとかやりすごしてから、みかんの皮をむいて口へと放り込む。 薬の苦味とみかんの酸味、それからほのかな甘み。 まるで心の内の葛藤が口の中に広がったみたいだと、その複雑な口内を思う。 「さ、熱が下がるまではここで休んでていいから。もう一度眠りなよ」 許可の形をとった命令に、おとなしく従い再び布団をかぶる。 先程よりも温もりが増した気がする布団の中で、身体を丸めておとなしく眠りにつく用具委員長なのだった。 用具委員長が風邪を引きました ←タイトル |