| ひざまくら(文留編) 「えーと、留三郎さん?」 からりと扉を開けて眼前に広がる光景に伊作が目を剥いた。 疑問系でかつ無駄に丁寧にそこにいる人の名前を呼ぶことしかできないが、それはどうかこの光景を否定して欲しいという儚い願いが込められている。 「あー、悪いが伊作、ちょっとだけ静かにしてやってくれ」 ところが返ってきたのは伊作が望んでいない言葉。つまりそれは留三郎の足元に転がっているそれが幻でもなんでもないのだという事を意味している。 足元…というのはただしくはない。正確には柱を背に座り込んだ留三郎の膝元に彼はいるのだ、もっと正確には頭だけが。 もはや頭が考える事を放棄しかけている伊作はとりあえず言われたとおりに静かに戸を閉める。 同室者の恩恵か他の部屋よりも格段に手入れをされて軽やかに動くこの部屋の扉はほんの僅かな音だけを立てて閉じられた。 「で、何それ?なんで文次郎が留三郎の膝枕で寝てんの?」 それ、と指さされたのは床に転がる文次郎。頭を留三郎の膝に乗せて眠る姿はまさに伊作が表現した膝枕以外の何者でもない。 そもそも文次郎がこうして眠っている姿というモノ自体が珍しいのに、一体この状況はなんだというのだろうか。 「んー。さっきぶん殴ったんだ」 「は?」 イマイチ会話が成り立っていないような気がする。伊作は眉間にしわをよせてもう一度留三郎を見下ろした。 「だから。あんまりにもこいつがふらふらだったから。いつから寝てないのか聞いたら帳簿計算で貫徹五日目だと言うから…」 淡々と語る内容は、保健委員としても頭の痛くなる文次郎の日常。だが今回は少し度が過ぎていたようだ。 「隈も鬱陶しいからとっとと失せて寝ろと言っても聞かんから、殴り倒した」 「…ああそう」 伊作の返事も段々と投げやりになってくる。言葉の投げやり度と内心の馬鹿馬鹿しさは比例する。 しかしそんな口調にも気がつかず、留三郎は呆れたように続けるのだ。 「ったく、普段だったら不意打ち食らうようなタマじゃないくせに。どんだけ本調子じゃねーってんだこのギンギン馬鹿は。らしくねえ」 へー、と言う伊作の声は棒読みだ。 なんだか凄く、凄く、むずがゆい気がするのは気のせいだろうか。 とった行動自体は甘さの欠片も無いくせに、その原因と結果は胸焼けがしてくる。 心配してるんだー、とか力量認めてる訳ね、とか結局膝枕しちゃってさーとか言いたい事は山ほどあるけれども。 「…この部屋で薬煎じない方がいい?」 「んー、そーだなー。あの匂いは慣れてないとキツイかもな」 あー、はいはい。文次郎を気遣ってるわけですね。ていうかまだまだ当分ここで寝かせておく予定なんですね。 瞬時に頭を駆け巡った台詞はどうにか口に出さずに飲み込むことに成功した。 伊作は曖昧に笑って、再び扉に手を掛ける。 「伊作、悪いな」 「いーや別に。限界来てぶっ倒れた文次郎に医務室乗っ取られても困るし。まったくタダでさえ傷薬無駄遣いしてるんだから、その分予算よこせっての、馬鹿文次郎」 さらさらと淀みなく、流れるような文句が出ているとは思えぬ笑顔で伊作はそのまま部屋を出た。 静かに閉められた扉と、遠ざかる気配。 沈黙が部屋を支配したのは僅かな時間。 くっと留三郎の喉が鳴る。 口の端が持ち上がってにやりとした笑いを浮かべた。 「伊作にもバレバレだな、この狸が」 寝ている文次郎にそんな言葉を落とせば、すうっと彼のまぶたが持ち上がる。 「伊作をごまかせるとは思っとらん」 伊作は、気絶・昏倒・仮病を見慣れすぎている。そんな彼を誤魔化すのは至難の業だ。 「大体、アイツが部屋に入る前に廊下で転んだ音で目が覚めたんだ」 不機嫌そうに呟いて、ただ起きる機を失っただけだと口をへの字にひん曲げた。 確かに目を開けるにしろ、がばりと起き上がるにしろ、伊作が部屋に入ってきた時点でそんな事になっていたら気まずい事この上ない。 例え狸がばれてはいても、最初は本当に寝入っていたのだと分かってもらえるだろう。 尤もそれも充分に恥ずかしい事ではあるが。 「だったら、また寝ろこの馬鹿。全然隈消えてねえじゃねえか」 口から出るのは可愛げなど欠片もない言葉。 少し冷えた掌で目の上をふわりと覆われた。 視界を遮断されて鋭敏になる触覚には己が枕にしているものがやけに明確に伝わってくる。 殴り倒されていつの間にか、ならともかく最初からこんな体勢で寝入れるか馬鹿たれ、と反論をしたい気分で一杯だったのに。 顔に触れる手も、流れる空気も、そして、枕も。 酷く心地よくて促されるままに眠りの淵へと深く沈んでしまった。 文次郎が寝入った後もさらりさらりと額をなでる手は止まる事はなかった。 :::::::::::::: …甘々文食 この後足のしびれた留さんを同学年がからかいます。 |