(与四郎)

 

太陽が高く昇れば、当然のごとく落ちる影は小さくなる。
移動した太陽と共にじりじりと日陰日陰を移動してはみるものの、暑いものは暑い。
それなのに、なんでこの男は涼しい顔で集中していられるのだろう。
そう思いながら与四郎はちらりと隣の顔を見た。
一応暑いとは感じているらしく一筋の汗が伝っているが、それを拭うでもなく手元の作業に没頭している。
「暑ちーべー。なーんだよこれー。この暑さおかしーべ」
子どものような声をあげると、漸く視線がこちらを向いてくれた。
「なー、留三郎ー。こっちはいつもこんなあちーべか?」
眉がハの字に垂れ下がっているのが面白かったのか、留三郎はくすりと笑う。
「まあ、夏だからな。こんなもんだろ?大体、お前そんなにバテてどーするんだ」
「えー、だって足柄の山はこんな暑くねーだよ」
麓に降りたってここまで暑くはないんじゃないだろうかと言えば、へえ、と少し羨ましそうな顔を向けられた。
なんだ、やっぱり自分だって暑いと思ってるんじゃないかと、ちょっとした意地悪心でからかってみたら。
じゃあ、帰れば?とにべも無い返事だけを残してまた手元に集中されてしまった。
「とーめーさーぶろー。んったら事せってんなー」
「ええい!懐くな!鬱陶しい!作業の邪魔!」
「ひどーい」
「ていうかお前、なんで居るんだ?」
「まあそこはそれ深く追求すんでねーよ」
あははっと笑って誤魔化せば、まったく、と呆れたように再び手元に意識を戻す。
どさくさに紛れて縮めた距離はそのままであるが、別に追い払われなかったのでこれ幸いと張り付いたままだ。
暑い暑いと言いながら余計暑くなるような行動なのに、何故かさっきよりも居心地はいい。
「おめーさんさっきから何してんの?」
「修理」
留三郎の手の中には大きな桶が一つ。さっきから木槌でもってトントン叩いてゆがみを器用に直しているようだ。
「備品け?」
「んー、まあそうだけど。さすがにもう古過ぎて使用には耐えない奴だな…」
「使えねーのに直してんの?」
「はははっ。本来の目的にはもう無理ってだけだな。よし、こんなもんか」
最後にこつこつと拳で幾度か叩いた後にぐるりと一周見回して、よしっとばかりに立ち上がる。
「ほら、与四郎ついて来いよ」
「え?あ、ちょー待てー」
何の説明もなくただ先を歩く留三郎に慌てて与四郎が追いすがる。
見失ったら大変と気負ったのもつかの間、あっさりと目的地に到着したらしく拍子抜けしてしまった。
「井戸?」
「そ。ほら手伝えよ」
ぽけっと辺りを見回す与四郎をせかし、二人で協力して留三郎が先ほどまで直していた大桶に水を汲んだ。
「うっしゃー!何ぼさっとしてんだよ。とっとと袴捲って入りやがれ」
「は?へあああ?」
言うが早いか留三郎は足袋も脚絆も脱ぎ捨て袴を捲り上げると、その足を桶に突っ込んで傍らへと腰掛ける。
「うひゃー冷てー。って何してんだっての」
「わっ」
未だに展開に追いつけない与四郎にぱしゃんと手で掬った水をひっかけてやれば、にやーっと笑って物凄い勢いで同じ体勢に。
ばしゃんと足を突っ込んで、水の冷たさにぞくりとして。
「ま、この位の遊びにゃ、充分使えるって訳だ」
にやりと笑った留三郎。
もしかしなくても、暑い暑いとだれていた自分のために、わざわざ修理してくれたのかと思えば、せっかく涼んでいるのに体温があがった気がする。
桶の中で足を蹴りあって水をひっかけて、散々子どもの様に遊んだ。水さえも温まってしまう頃には、涼を取った身体のほてりも取れたどころか、水につけっぱなしだった足が冷たくなっているほどであった。
流石に遊びすぎたとそそくさと手ぬぐいで足を拭う。
互いに身支度を整えていると、与四郎がふと留三郎に顔を向けた。
「水浴びもいーけんど。こっちにはえー温泉があるんだろ?」
暑い夏に熱い温泉ってのもえーんだぞ、先ほどふざけあっていた時と同じ顔をして笑う。
「あー、温泉ね…確かにあるけど…。でも温泉ったらそっちの方が有名じゃないか」
「えー?俺にとっちゃ別に珍しくも無い足柄の温泉より、こっちの方がえーっての」
「おいそりゃこっちにとっても同じことだ。こっちの湯なんぞ珍しくない」
与四郎の言い様に、まるでこちらの意見をないがしろにされたようでむっとして留三郎がやり返す。
「いーや、足柄よりこっちのがえー!」
「いやいや、そっちの方がいいぞ俺は!」
「んじゃ、こっち来る?」
「おうよ!…って、え?」
「よっしゃー!決まり〜。留三郎今度こっち温泉入りに来ー!約束だ!」
「…なんか、俺今うまーく騙された気がする」
騙されたというよりは、乗せられたというほうが正しいのだろうが、それでも怒る気になれないのは。
目の前のこの男が心底嬉しそうにしているからだと思う。
ふうっと一つため息をついて。
「しゃーねーな。じゃあ今度の休みだな。きっちりお薦め案内しろよ!」
「まかしとけー!」
二人で改めて身支度を整え、桶の中の水は打ち水にした。
周囲の温度が少し下がったような気がして、ぬるい風が吹く。
「んーじゃーな!またな!」
「え?お?おお…。つーか、ほんと何しに来たんだよ…」
ふわりと風が吹くのと同時に去ってしまった与四郎の気配をたどって、留三郎はやれやれと肩をすくめた。
空になった桶を担いで、今度委員会の後輩達と水浴びをするかと思いつき目を細めて歩き出すのであった。
 
 
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で、与四郎は何しにきてたんでしょうね。
※足柄の温泉は万葉集にも詠まれる程有名であったようです