先程学園長から呼び出しを受けた留三郎が少し疲れたような顔をしておもむろに着替えを始めたのと、留三郎の委員会の後輩である喜三太が飛び込んできたのと、同室の伊作が素っ頓狂な声を上げたのはそう時を違えたものではなかった。
「喜三太…お前なんでそんなに耳が早いんだ」
「えー、一年は組の行動力でーす」
「要するに、誰か立ち聞きしてたんだな」
えへへと頭をかいた喜三太。察するに庭掃除をしていた兵太夫辺りだろうかとあたりをつける。何しろ兵太夫は隙をついて学園長の部屋近くに立ち聞き用のからくり部屋を密かに設置したらしいという噂がまことしとやかにささやかれているのだから。
後はいつものは組の団結力と行動力によってあっという間に喜三太まで伝わった、という所だろう。きっと今頃は金吾にも伝わっていることだろう。「で?」
「えーと、先輩。もう、すぐに出かけちゃいますか?」
飛び込んできたときの勢いはどこへやら随分と殊勝にお伺いを立ててくる喜三太に、留三郎はほわりとまろい笑みを浮かべた。喜三太が頼みたい事は大方分かる。本当は出かける前に自分から声をかけようかと思っていたくらいだから。
「そうだな。あまり時間はある訳じゃないから、手紙を書くなら早く持って来い。ちゃんと宛名も書いてな」
留三郎の言葉を聴いて、喜三太の顔はぱああという音が聞こえそうなくらいに輝いた。すぐに踵を返して飛び出していく。廊下の向こうから「いますぐ書いてきますからまっててくださいねええええ」という雄たけびが聞こえてくるのを、くくっと笑って聞いていたら第一声以来とりあえずおとなしかった級友の不機嫌そうな声がかぶさってきた。
「で?」
「あ?」
「あ?じゃないでしょ。何それ?学園長のお使いって…そんな遠くまで?どんな厄介ごとさ」
伊作の不機嫌の理由は留三郎の行き先に起因する。
部屋に戻った彼がぽんと言ってのけたのだ。「学園長のお使いで、相模の国まで行って来るからしばらく留守にする」
と。
なんだそりゃっと疑問をぶつける暇もなく喜三太が飛び込んできて、行き先を考えたらあの子が頼みたいことも分ったけれども、そんなこと安請け合いしても大丈夫なのだろうかとか、どんな厄介ごとかも分らないのにと、機嫌と共に声も低くなっていくのは止められなかった。「大体、いくら休み中だからってそんな遠くまで…」
今は秋休み中である。農繁期の実家の手伝いをするための休みであるが、留三郎も伊作も実家が農家ではないので学園に残っていたのだ。尤も上級生には実家の家業に関係なく残るものは多かったが。
ともかく相模の国に行って帰ってくるだけでも普通の人の足で満月が姿を消してしまう程の日数がかかる。忍の卵それも6年生の足としても決して楽な道ではない。「まあ、学園長が馬を貸してくれるしぎりぎりで戻ってこれるんじゃないかな」
「そんなに火急の用件なの?」
内容を聞くのは禁則事項だと分ってはいても聞かずにはおられない。学園の威光も通じぬ東国の地へそこまで急ぎの用事で使いに出されるとは、いかような危険があるのかと。
しかし留三郎は困ったような呆れたような顔を向けるのだ。「あー、お使い内容自体はな…下手すりゃ一年に頼んでもいいようなもんだ。ただ遠すぎるからってだけで俺が行くだけだからな」
一応忍務ではあるが、これは言ってもかまわないだろうと思案して留三郎は小さな声で伊作に耳打ちをする。
「こないだ金吾の父上が来たの知ってるだろう?」
「金吾って小平太のとこの一年生だよね。戸部先生に師事してる。よく医務室に来るからね」
「そう、喜三太の同室であの子も相模の国なんだが…」
「あ、なんとなく分った…。もしかして金吾の父上が相模の国のお菓子でも手土産に持ってきたりした?」
「ご名答」
要するに、それが非常に美味しかったのでまた食べたい、ただそれだけのためのお使いなのだ。
「まったくもう。また虫歯になっても知らないから」
それならば特に危険はなさそうだと安堵すると共に、そんな用件のためにわざわざ留三郎に遠出させる学園長への不満は隠せない。
実はこれを頼まれた時に学園長から、仙蔵には馬鹿にされそうだし、文次郎には説教されそうだし、長次にはただのお使いは向いてないだろうし、小平太に頼めば早いだろうが菓子がつぶれてしまいそうだし、伊作は間違いなく途中で不運に巻き込まれて菓子をなくすだろうからお前に頼むと言われていた事は留三郎の胸のうちにとどめておくことにした。「ま、そんな訳だからちょっと出かけてくるな。まあ何か面白いものでもあったらお前さんにも土産でも買ってこよう」
「別にいらないけどさ…気をつけてね」
なんだか妙にうきうきしているように見えるのは気のせいだろうかと思ったが、そう言えば留三郎は金吾の出身地である鎌倉にいたく興味を持っていたのを思い出した。要するに渡りに船な訳かと伊作はため息を吐く。
「っていうか、金吾の故郷と喜三太の故郷は同じ相模の国と言っても随分違うじゃない。いいの?簡単に請け負っちゃって」
唯でさえぎりぎりの日程なのに大幅な寄り道をする事になるだろう。それでも留三郎は笑って言うのだ。
「確かにきついけどな。でも…考えても見ろよ。俺達でも嫌になるような距離だぞ。めったに家に帰れなくて寂しいんだろ。ほんの少しでも近くにいるんなら、少しくらい無理しても預かってやりたいじゃないか。」
金吾の文を預かるのを当然とするならば、喜三太の文だって預かってやりたいと留三郎は言い切って。伊作は仕方がないなあと笑った。それが伊作の知る留三郎であると痛感したからだ。
何かの時に役立てろと餞別に傷に利く軟膏を手渡したところでぱたぱたという足音と共に喜三太と金吾が飛び込んできた。「あの…喜三太に聞いて…ぼくも・・いいですか?」
「ああ、勿論だ預かろう。お父上に渡せばいいか?」
少し遠慮がちに喜三太の後ろから着いてきた金吾の文を受け取って丁寧に懐へとしまう。嬉しそうにする金吾と共に喜三太も文を三通差し出した。
「せんぱい!ありがとうございます!これ!リリーばーちゃんとよしろーせんぱいとじんのしんさんにお願いしますね!」
「ああ、分かった」
こちらも丁寧に受け取ったところで伊作がちょいちょいと袖を引っ張ってくる。
「ちょっとちょっと。金吾のお父上はともかく…風魔の人たちに簡単に文渡せるの?」
伊作の尤もな訴えに、留三郎も首をかしげる。確かに風魔はこの忍術学園以上によそ者を受け入れないだろう。さてどうしたものかと喜三太を見やればほにゃりと笑顔が返ってきた。
「えーとですね。足柄山のふもとに村がありますから、そこにいる人にお願いすると大丈夫ですよ」
喜三太の説明に二人はなるほどなあと納得をする。外界とのつながりはそのようにしてつけているのか。当然その村の住民というのは皆風魔の者なのだろう。用心深いことだ。
「分かった。じゃあ人づてに頼まなきゃいけないから、もう一度ちゃんと名前を教えてくれるか?」
「はあい」
そんなやりとりをして、留三郎は学園を後にした。目的が学園長のおやつであろうとも引き受けたからには急がねばならない。用意された馬を駆りあっという間に道の向こうへと消えていく留三郎を見送った伊作と喜三太と金吾は、門の中へと戻っていった。
「他の皆は帰ったの?」
何とはなしに傍らの後輩達へと話しかければ、金吾と喜三太は少し寂しそうに頷いた。
農家の子達やこの時期家業が忙しくなる者は勿論、そうでない者もやはり年少であり休みであれば家族のもとへ帰っていくのだ。
数人はまだ残っていたが、明日にも短い休みでは帰宅することのできない二人だけが残り全員が帰宅してしまうらしい。そう言えば戸部も他学年の補修で学園に残っていたなと思い当たった。
なるほど、確かにこの境遇は幼い一年生にとっては寂しいものだろう。機会があるのなら多少無理をしてでも文の一つや二つ届けてやりたいと思った留三郎の気持ちが伊作にもようやく理解できた。− まったく、留らしいなあ −
それでも、伊作にできることは道中何事もなく無事で帰ってきてほしいと強く願うのみである。
無事に帰り着いて二人に土産話を笑顔でする留三郎を頭に描いて、伊作は二人と別れて長屋へと向かうのであった。
一方の留三郎は数日馬上の人となり、かなりの道中を進んでいた。もうだいぶ近づいて目的の街まではあと一息であるが、ここまで来るのに大分疲労してしまった。
改めて忍術学園からの遠さを思い、二人の望郷の念はさぞかし強いものだろうと思い知る。幼い身で随分とけなげなものだと、常の喜三太の無邪気な笑顔を浮かべた。一刻も早くこの文を届け、時間が許すならば返事も貰って来てやろうと決意する。
そうと決まれば己の疲労もなんのその、馬を飛ばし目的地まで急ぐのみであった。
そのかいあってか、行きの行程は予定よりもやや余裕を持って到着する事ができた。この分であれば喜三太の文を渡しても休み中に帰れそうだと学園長の用事を手早く済ませる。
それから金吾の生家にも立ち寄り文を手渡した。金吾の父である武衛も大層喜んで己も返事をしたためる間に留三郎を手厚くもてなしてくれたのだった。結局出立するときには文の返事ばかりではなくいくばくかの土産まで持たされたが、預けていた馬までもが行き届いた世話をされて戻ってきたのに留三郎はいたく感謝をしてそこを後にしたのだった。
来た時よりも格段に重たくなった荷物。しかし何よりも重たいのはこの文の返事に込められた父の思いだと身を引き締める。大切な預かり物だ。
そうして、あの武衛の顔を思い浮かべれば喜三太の文も早く届けてやらなくてはと気は逸った。
鎌倉から道を外れ、更なる山奥へと進んでいく。
幾許かの難所を越え、流石の地形だと驚嘆しながらも慎重に馬を操った。
麓の村で道を尋ねれば、確かに喜三太から聞いた村はもう少し奥へと進んだ所にあるらしい。この村よりも更に小さな村で細々とした交流のみであると言う。「おめー、なんの用事があってあんなとこ行くんか?」
朴訥とした農夫に不思議そうに尋ねられて、留三郎は自分は旅人で道中に知り合った物から預かり物があるのだと答えた。
「はー。たいぎなこった。まあ、この先馬なんぞ入れねえからよ。ここで預けとくといい」
「ありがとうございます」
そんなやり取りを、他の村人達がものめずらしそうに覗いている。その後ろの方に居た一人の村人はじっと留三郎を見つめ、ふいっとその場を離れていった。
勿論留三郎はそれには気が付いて、おそらく彼も風魔の手のものなのだろうなと思った。既にもうこの事は伝えられ、警戒されているんだろうなあと少しため息を吐きたくなったが、多少は覚悟をしていた事だ。それに今の自分は忍としてきたわけではない。あくまでもただのお使い途中の旅人であり知り合いに頼まれた文を届けに来ただけなのだ。敢えて事を大きくするつもりもないので、一切の小細工をせず、どうどうと教えられたとおりの道を進んでいった。
数刻歩いて、どうやら目当ての村に到着したらしい。
先ほどの村人と同じようなのんびりとした顔をした老人が近づいてくる。「これは、珍しい。こんなところに旅人など」
「ええ、私もこんなところに村があったのに驚きましたよ。何しろ頼まれたはいいものの半信半疑でしたからね」
あくまでも何も知らず頼まれただけ、この村を探るつもりもないのだというのを前面に押し出しながら会話を続けた。
「道中急ぎますし、あまり長居もしていられません。文を預かってきているんですが…」
「ほほう、文か。はて、誰宛だろうなあ」
「ええと…錫高野与四郎という御仁はいますか?」
その名前を出したのはさしたる意味があったわけではない。強いて言えば、リリーの名は流石に出せないと思ったし仁之進は喜三太の同級生とは言え大分年かさと聞いていたので己と同年代だという彼ならばそう不自然ではないだろうと踏んだのだが。
「ほお…生憎今出ておっての」
一瞬老人の目が瞬いたのは見逃さなかった。どうやら選択を誤ったらしいと心のうちで舌打ちするが、自分が老人の変化に気付いた事も隠し通さねばならないだろう。なぜならそんな些細な変化を見逃さないなどと、自分が忍びであることをばらしているようなものなのだから。
「そうですか。では、他にも文は預かっておりますのでまとめてご老人にお渡ししてもよろしいでしょうか?私もあまり時間がありませんので…」
喜三太には申し訳ないが、ここは預けるだけにとどめておいた方が良さそうだ。もし中身を調べられたとしても疚しいところがないのは一目瞭然で、喜三太からの手紙であれば難なく本人達へと渡るだろう。
返事がもらえそうにないのは仕方がないと、引き返そうとした留三郎を引き止めたのは当の老人であった。「何、じきに帰って来ーしゃんが。待っとればえーよ」
「いえ…私はただ頼まれただけですから…」
「そういわねーと。茶でも飲んでいけばええ」
ああもう、これは間違いなくタダで帰らせてくれるつもりなどないなと天を仰ぎたくなった。ここで無理に村を出る方が却ってややこしい事態になりかねないと留三郎は腹をくくる事にした。
案内、とは言え気分的には連行に近いものではあるが、連れて行かれたのは一軒の家。何の変哲もない家だ。少なくとも見かけだけは。
そこで出された茶というのも、この辺りの農村では当たり前だろう白湯である。
ちらりとその中身に目を落としたが、軽く礼を言って留三郎はそれを飲み干した。
じっと見つめてくる老人の視線を受け止めながらも、少しずつ遠くなっていく意識に逆らう事もなく暗闇に身を落としたのであった。
続