ぼうとした頭を振り払えば、かすむ視界に顔を隠した男が見えた。

忍頭巾に忍装束。もはや忍である事を隠していない。という事は己は不審者として認定を受けたのだなと他人事のように考えて、身じろぎすればご丁寧に後ろ手に縛られている事にも納得をする。
ちらりと頭を巡らせれば、隙間から差し込む日の光が感じられない事から既に時刻は夜になっているのだと察せられる。
こちらが目覚めたことに気づいた男は剣呑な目つきで見下ろしてきた。

「おう、目ぇ覚めたな。聞きたい事があるから、聞いた事だけ答えろ」

やはり結局ややこしいことになっているなあと留三郎は思ったが一応軽くあごを引くことで了承を伝える。こちらには疚しいところもなければ他意もないのだ。尤もそれを相手が信じるかどうかは別として。

「おめえ、何もんだ?何故この村に来た」

「だから言ったとおりだ。文を預かってきただけだ。その者にこの村のことも聞いた」

簡潔に聞かれたことに返答をする。もっともこれ以上のことは実際に知らないから仕方がないのだが。しかし目の前の男は、唯一見える目を僅かに細めてあからさまに疑いのまなざしを向ける。

「おめえの荷物ん中には武家の家印の入った文しかなかった。お前はそこの手のものか?」

言われて留三郎は己の迂闊さを後悔した。このような事態を覚悟していた訳でもないが疑われる恐れは充分にあったのだ。無用心に金吾への文を収めておくのではなかった。

「それは別件だ。この村で渡せと言われた文は別のものだ」

「ふん…武家の文を持っているような奴が、ただ預かっただけで他意はないと言ってもな・・・」

「それもまた別の預かりものの文なのだよ。そちらは返答だがな。悪いが早くそれも届けてやりたいのだ」

「武家の手紙とこんなちっせえ村への手紙を両方預かっただと言い張るか?」

「遠く離れた子を思う父の思いは武家だろうとなんだろうと関係なかろう」

手は縛られたままではあるが、留三郎は男を真っ向から見据えてきっぱりと言い切った。

「なるほどな。子から親への文を預かり、その返信を預かったと。まあそれはおめーの言い分だ。じゃあ、『錫高野与四郎』に文を出したのは誰だ?」

「それは言えんな」

即答した留三郎に、周囲の温度が一気に下がったような気がした。目の前にいる男の後ろにはまだ数人の忍がいて彼らもまた同じ反応を返したのだ。

「…なんでだ?文を届けに来ておいて差出人は答えられんと?都合が悪いか?」

「そうだな。この状況では俺にはお前さん達がその『錫高野与四郎』の仲間なのかどうか判断がつかない。もし『錫高野与四郎』という奴を付けねらっている側だとして、そいつを知っている差出人を探し出すつもりなのだとしたら?と考えると、俺はその差出人を教えるわけにはいかない」

「…なるほど。それはこちらも同じ事。『錫高野与四郎』を知る者が本当に敵方でないと言う保証はないからな」

「まあ、そりゃそうだろうな。互いに互いが信用できないのだから平行線だ」

圧倒的な不利な状況でそれでも留三郎は取り乱すこともなく男の視線を受け止めて言い返す。

「ああ、面倒くせえ。俺としちゃー、アンタ諸共、文もなんもかんもなかった事にしちまいてえよ」

「それは困るな。一生懸命に書いた文だ。できれば届けてやりたい」

頭を頭巾の上からがりがりと掻いた男は相変わらずのきつい表情ではあったが、そのしぐさから存外に若いのだろうなという印象が沸き起こる。とは言えその男の言うとおりにされてもたまらないので留三郎は釘を刺したつもりであったが、それを聞いて男の手が止まって面白そうに留三郎を見下ろしてきた。

「って、おめー手前の身はどうでもいいってのかよ。俺はお前諸共、と言ったんだぞ」

「そうは言わないがな…。まあお互い妥協点を見つけるってのはどうだ?」

気を抜かず眼前に立つ忍装束の男と後ろ手に縛られたままの男、更には後ろで伺っているだろう他の忍達…相変わらずの状況にもかかわらず、二人の間で交わされるのはまるで対等の立場での会談かのようだ。

「何だ?」

「差出人の名は言わぬが、特徴は言おう。あんた達がそいつの仲間であるならすぐに分かるようなな。それでも分からぬなら、俺はアンタ達を信用はしない。逆に言えばあんた等も同じことだろう」

「ふうん…それでもやはり互いに信用できねばどうする?」

「それはお互い様だ。ただ俺はこのざまだからな。それは俺の不手際が招いた自業自得だ。さっさと覚悟を決める」

男はちらりと後ろを伺った。その一瞬の目線でどのようなやり取りが交わされたのかは留三郎には図りかねるが、少なくとも今の提案には向こう側に不利なものはない。どちらかと言えば己の賭けにすぎない。

「いいだろう。言ってみろ」

やはり、結論はそう出たようだった。彼らが本当に風魔のものであるならば、おそらくは大丈夫であるだろう。

「文は三通だ。他に二人に宛てている。差出人は…」

そこで、一旦言葉を切って苦笑がもれた。留三郎自身は思わずもれたものでは在ったが相手にしてみれば、勿体つけたようにも見えたかもしれない。少しイラついたように、更に顔を険しくしてずいと近づいてきた。

「蛞蝓だよ」

洩れた苦笑の口の形のままそうつなげてやれば、眼前の顔は面白いように目を見開いた。
それから。
そのまま身を引いて、手を額に当てて笑い出す。

「そーか、蛞蝓…ナメクジって…あははははははっ!なるほど、そういうわけか。だから知ってた訳か。くくっ…ったくあいつぁーよー、知らなかったんかよー、あははははっ」

その反応に留三郎はどうやら通じたようだとほっと息を吐いた。何を笑っているのかは知らないが喜三太の事は知っていたようだ。

「おっと、動くなよ。で、その文はどこだ?」

「ああ、ほらあそこだよ」

手は縛られたままで使えなかったので足をひょいと動かして指し示す。

「お前、こっちはあっさり信用すんだな。俺らは手紙の送り主は信用してもお前さんの事はまだ信用してねーんだが、あっさり場所吐いてえーんか?」

「さっきの反応で充分だ。こっちはあんた達が送り主の知り合いだと確信したさ。そっちがこちらをまだ信用できんと言うのは良く分かるし。ま、手紙を早く受け取ってくれ」

そう言いながら足で示したのは先程も調べられていたであろう己の荷物だった。

「は?さっき探したときなかったぞ」

「…お前ら、『隠してたもの』を探しただろう。最初から隠してなどいないからな」

男はがっくりと頭をうなだれさせる。

「あー、確かに。はなからおめえが忍だって思ってかかったからな。騙された…」

「騙してなどいない。最初からただの使いだと言っていただろ」

少しだけ呆れたように言ってやれば、ごそごそと荷物を探っていた男はやがて三通の文を取り出して脱力したようにそれを眺めて呟いた。

「まさか、こんな子供のよみかきれんしゅうみたいなんが文とはおもわねーって。あーでもアイツからの文って分かってれば…そーかもな。あーもう…しくったべ」

用心深いのは結構だが、それで事態をややこしくするとは少し修行が足りないんじゃないかとは、言葉に出さずに心のうちでとどめておいた。さすがにこの状況でそんな事を言おうものなら身の保障はしかねるだろう。

「…ふんふん、三通な…。ああ、なるほどね」

そう呟きながら男はそのうちの一通を取り出して読み始めた。まあ中身の確認位はしてもらわないとこちらの身の潔白も証明できないと、特に何を言うこともなく男が中身を読み終えるのを待っていた。
程なくして、男が顔を上げるとおもむろに頭巾を取り払う。その素顔はやはり予想通り年若く、もしかすると己と同じ位かとも思えた。
一体どういうつもりなのだろうかと、さらした素顔をじっと見やれば、男もにやりと笑ってこちらをまじまじと見下ろしてくる。

「おめえ…『けまとめさぶろうせんぱい』か?」

「あ?」

唐突に出された己の名前に、思わず目を見開いてほうけた表情をさらしてしまえば、相手は面白そうにさらに笑みを濃くした。

「今の反応で充分だべ。上級生がそんな顔に出しちゃいかんだろ?」

先程の失敗をこちらが少々呆れていたのを見透かされていたらしい、意趣返しとは随分と子供っぽいものだと思いつつも、その表情をみているとつられて笑いそうになってしまう。

「色々と悪ぃかったべな。とりあえずあんたの事は信用するべ。んで、改めて、俺が錫高野与四郎だ」

唐突に明かされた名前に留三郎は目を丸くした。まさか本人だったとは。

その反応にますます気を良くしたのか、与四郎と名乗った人物はにっかりと笑う。その顔は最初に見せていた忍の顔とは随分と雰囲気が変わってまるで学園の友人達と語らっているような錯覚さえ起こさせた。

「おめーのこと、この手紙に書いてあんべ。喜三太が随分世話になってるようだな」

「あ?あ、ああ…」

なるほどそういうことかと納得をした。コレばかりは喜三太に感謝をしたい。どんな事が書かれているのかは知らないがとりあえず悪い事ではないらしい。
与四郎は背後にいた仲間に残りの文を渡している。おそらくそれぞれの送り先に届けてくれるのだろう。

「あ…、すまんが…」

「なんだ?」

「もし良かったら返事をもらう事はできないか?相手の都合もあろうができれば…。尤も俺にその文を預ける事をあんたらが許すかどうかは別問題だが」

金吾の父からの返信があったあからには是非とも貰ってやりたいのが本心だが、風魔の事情があるならそれは仕方がない。
与四郎から文を渡された者は何も言わずにその場を去ったので了承されたのかどうかは分からない。あとは上の判断なのだろうなととりあえず最初の目的は果たされた安堵に肩の力を抜いた。
そんな留三郎に与四郎は黙って近寄ると手の縄を解いてやる。

「悪ぃかったな」

「いや、忍なら当然だろ。こちらも迂闊だったすまない」

「いやー、ちげーんだよ…ははは」

少々しびれた手首をぐるりとまわしていたら、与四郎はなんだか微妙な顔をしている。それは聞いてもいい事なのかどうか判別がつかずこちらも、困った顔をしていたら、泣き笑いのような顔で口を開いた。

「俺は錫高野の名前を外では使ってねえ。それは仲間ならみんな知ってる事だ。だから…そのん名前を知ってるちゅーこたー仲間か、俺が忍である事を知っていて探している奴だけなんだべ」

「ああ、なるほどね」

だから、安易にその名を出した留三郎は疑われて当然であった。仲間から手紙を託されていたならその名を伝えるはずもない。錫高野の名前を知っていてかつその事を知らないのは、敵である忍の確率が高いのだ。

「…喜三太は、その事知らんかったんだなー。まーさか俺も喜三太から文がくるたあ思ってなかったからよー」

「まあ俺もちゃんと名前を教えろと言ってしまったからな…」

「あ、はははははは…は、は…」

喜三太は言ったことを素直に実行した良い子だ…良い子なのだが…。

「まあ、知らなかったんなら罪はない…よな?」

「うーんまあ…。ん……?いんや、多分言った事あっぞ俺は…」

「あははははは…」

二人で乾いた笑いを浮かべて、がっくりとうなだれた。

「ああそうだ、えーと与四郎さんだったな」

「ん?ああよしろーでえーよ。同じ喜三太の先輩だろ?俺もまだ風たまだしなあ、なあ留三郎?」

にかっとやはり人好きのする笑顔で言われて、それでは与四郎、と改めて言い直す。

「その…喜三太に返事書いてもらえるか?」

先程言ったのと同じことではあるが、今度は本人に向かって直接問う。

「ああ、勿論だべ。今から書くからよー、しっかり持ってってくれな。よろしく頼む」

さらりと返されたそれに、少なくとも与四郎の文は持って帰れそうだと安堵した。
がたがたと文机を引っ張り出してくるのを見て、留三郎は苦笑する。

「おい、ここで書くつもりか」

部外者である自分がいると言うのに。

「ああん?別に構わねーだよ。さっきおめーも言ったでねーかよ。遠いとこに居る後輩懐かしむのに、武士も風魔も関係ねーべ。…っと、でもまあ、客人の前では確かに無礼だなー」

「お前さん、面白い奴だなあ」

そんな風に言われてしまっては、何も反論しようがないではないか。気さくな様でいて、見事に計算された気遣いを見せられた。
何よりも、どうやら客人として扱ってくれているのだとさりげなく言われた事にもホッとする。

「おめーさん程じゃねーよ」

机に紙と筆を広げ、視線はそちらに落としながら笑いを含んだ声が飛んできた。

「肝の据わりっぷりなんか、てーしたもんだよおめーさんは」

さらさらと筆を走らせてやはり顔は上げないままに言葉はつむがれる。

「こいつぁ手ごわいなあと思ったよー正直な。けども、それがまさか忍務のためでもなく喜三太のためだとはなー。まあ手紙におめーの事たくさん書いてあったのも頷けらーな。いー先輩と友達に囲まれて楽しくやってーみたいだな」

「だといいがな」

つらつらと淀みなく出てくる言葉に圧倒されて留三郎は苦笑する。やっぱり変わっているのはこちらの方だと思うのだ。

「ああ、そうそう。もう一通持ってた武家の文はありゃあ喜三太の友達の家だべか?」

「ああそうだ。」

「なるほどなあ、たまに途中まで一緒に帰ってくるっつう子か。これで全部つながっただな」

少々の行き違いと思い込みでややこしい事になったけれども、本来はごくごく単純な事だった。
留三郎は思う。ただの文を預かった旅人として訪れたつもりだったのに、疑われてもあくまでも一般人として通そうと思って薬の盛られた茶まで飲んだというのに。結局最後の一線は、忍としての習性ゆえの疑い深さでややこしい事態を引き起こしてしまった。 忍なんていう因果なものが身に染み付いてしまっているのだなあと半分諦めにも似た思いが脳裏をよぎる。それを後悔する事はなかったけれども。
与四郎が筆を走らせるわずかな音だけが響く中で、すっと音もなく扉が開いた。
意識して視線をあわせぬようにはしたが、注意はそちらに向いてしまう。視界の隅で暗がりから出た男が与四郎へと二通の文を渡すのが見えた。
まさかとは思ったが、その男はそのまま留三郎へと向き直り、文を託すときっぱりと言い切ったのだった。
双方非常に喜び、特にリリーは非礼を詫びていたと言うが、それには己の失態が原因であるので気にしないでくれと返答し、ありがたく文を預かった。

「まさか、リリー殿まで託してくれるとは」

驚きを正直に口に出せば、自分の分も丁寧にたたみながら与四郎はからかうように言う。

「だーからよー、玄孫を思うには風魔もなんもかんけーねっての。おめーが言ったんだろがーよ」

「まあ、そうだが…」

「ほれ、じゃあ俺の分もたのんべ。よろしくな」

「ああ確かに」

それらを受け取って丁寧に武衛からの文と共に荷物へと仕舞う。

「さて、どーすんべ?すぐ出るか?」

「そうだな…少し時間を食ってしまったからな。休みのうちに帰りたいし。ああ、でも馬を預けて来たんだったな。朝一で発つので一晩泊めてはもらえるか?」

「馬なら、こっち持って来てんべ。すぐ用意できっよー」

さらりと返された言葉に目を丸くして留三郎は問う。

「あっちの村もか。どこまで入り込んでるんだ?」

「それは企業秘密」

にやーっと悪戯が成功した子どものような顔で笑った与四郎に留三郎も苦笑しながら両掌を掲げた。

「悪かった。詮索が過ぎたな」

「つーかさ、馬って言やぁオメーさんよー」

「何だ?」

急に神妙な顔をしてこちらに向き直ってきたので、何事かと留三郎も続きを促した。

「何の変哲もねーただの旅人装ってんなら、馬なんか乗ってくんなよー。あそこがただの村でもふつーはびっくりすんべー。侍でも馬借でもねー奴が馬乗ってきたら」

指摘された内容を暫く咀嚼して、それからようやく何を言わんとするかに思いあった。天井を仰いで己を恥じ入るばかりだ。

「あー…。そのとおりだな。急ぐ事ばかり考えていて不自然さに思い当たらなかった…。いや、正直何も考えてなかったよ…」

「オメー、もしかしてたまーに、大事な所すぽーんと抜けてる事あんだろ…」

「面目ない」

がっくりと力が抜けて項垂れてしまったのは与四郎の方だった。まさか素で考えに入れていなかったなどと言う返答が来るとは思わなかった。
最初の印象から何から何まであまりにも意外性がありすぎる。

「あーあ、もうーオメーほんと面白れー奴だな」

そんなに何度も言われるほどだろうかと思うが、与四郎は尚も面白い面白いと連呼する。

「おい、そこまで言われるといい加減自分が情けな…」

「でもまあ、俺はおめーさんのそういう所全部ひっくるめて、なんか気に入ったけどなー。うん、俺おめーさんが好きだよ、留三郎」

『な』の口の形のままぽかんと固まってしまった留三郎を見て与四郎はもう一度大笑いを見せた。

「オメーなんて顔してんだ。男前が台無しだんべー」

「ってお前がいきなりおかしな事言うからだろ!あまり馬鹿にしてくれるな」

「えー?褒めたのに」

「どこがだ」

「褒め言葉褒め言葉。それに、気に入ったのも本心だべー」

にこにこと屈託ない笑顔で言われると、それ以上つっかかるのも馬鹿らしいような気がする。

「…有難く受け止めておくよ」

「つれないなー」

「分かった分かった。俺もお前さんの事おもしろい奴だと思ったし、そういう所が気に入ったよ、与四郎」

この返答はいたくお気に召したようで、満面の笑みを浮かべた与四郎は留三郎の肩へと手をまわす。

「へへっそりゃ嬉しいこった。んじゃあ、そろそろ出るか?」

「ああ。早く二人に文を届けてやりたいしな」

「…おめーさあ、当初の目的忘れてね?文はついでだったんじゃねーの?」

「…」

留三郎の表情から、またも素で忘れていた事を察して与四郎は床につっぷして笑い出す。

「そ、そんなに笑うな!」

「あはははははっ、だってオメーってばよー、あーもう…」

「くそっ!さあ、もう出るぞ俺は!馬はどこにあるんだ?」

「あ、ちょっ、ちょっと待つだよー。悪かったってー。ほれ待てって、俺が途中まで送ってくから」

笑い続ける与四郎を放置してさっさと立ち上がった留三郎を慌てて追いかけて肩をぐいっと引き寄せた。

「いや、そこまで世話にはなれんよ」

「逆戻りするよりも、早い抜け道があんだよ。そこ案内してやっから。早く帰りたいんだべ?」

「そ、それは有難いが…。さすがに夜の山道を馬で駆けられる程馬術に自信はないぞ…」

「へーきへーき。普通に馬乗れんだったら充分に通れる道だー」

有無を言わせずに留三郎を半ば引きずるように外へと連れ出す。結局与四郎を信頼するしかないので、大人しく従った。外に出れば既に馬は用意されており、隣におそらく与四郎が操るのであろう馬も立っていた。

「よーしよーし。また頼むだよ。ほれ、留三郎、行くぞ」

「あ、ああ」
双方ひらりと馬にまたがると与四郎が先導し夜道を駆け出した。確かにその道は昼間留三郎がやって来た道ではない。一見すると全く分からないような場所を器用に馬を駆っていく与四郎の後から留三郎は追いかけた。確かにこれでは先導がなければさっぱり分からないだろう。山の中だと言うのに入り口以外は妙に整えられ彼の言う通り夜道でもなんとか馬を駆る事ができた。おそらく人の手が入ったものだろうなとは思ったが、口には出さなかった。この道を教えてくれたという事はあちらもこちらを信用してくれての事だろう。
夜の道中を行く事数刻、不意に視界が開けたと思えば、そこは既に街道であった。
来る時に見覚えのある道ばたの木々や祠におおよその場所の見当がつく。確かにずいぶんと近道をさせてもらったようだ。
前を行く与四郎がくるりと馬を反転させて、あの人好きのする笑顔をむけてくる。

「どーだべ?近かったろ」

「ああ。助かった。ありがとう。それから、この道の事は他言しないと約束しよう」

そう返すと、再び与四郎はおかしそうに目を細めた。

「んっとにおもしれー奴。いーんだよそんな事。利用できるもんは利用すんのが忍だろ?」

「しかし、それは最後の選択肢にしておきたいんだよ。ただのちっぽけな信念だ」

「律儀な奴。でも、やっぱりそーゆーとこも好きだべな」

「…だから、そういう事を言うな……普通の言い方すればいいだろ」

「はははっ悪いな、本心なもんで」

ふざけているのか何なのか分からない口調でもって与四郎は笑う。すっかり相手のペースにのせられてしまった留三郎は困ったように苦笑いを見せた。

「なあ留三郎。見てみろよ。月がきれいだ」

不意にまったく違う話を振られて、言われるままに天を仰げば下弦の月が高く昇っていた。もうじき世が明けるのだろうがまだ夜空の黒は明け空の藍には場所を明け渡しては居ない。
半月とは言え互いの顔がはっきり見える程の明るさが照らす月夜は忍にとっては似つかわしいものではないだろう。
留三郎は月が好きだった。忍にとっては邪魔この上ないものではあるが、だからこそ、月を愛でる時というのはそんな忍ではなく人として眺めていられるからである。
いつもとは違う場所で思いがけず美しい月を拝み、留三郎はつい見惚れてしまった。

「月明かりの下に居るときは、忍じゃないからなー、忍務とか風魔とか忍術学園とか関係なしに居られんべ?」

そう呼びかけられて空に向けていた顔を与四郎に向ける。あまりにも驚いてまじまじと顔を見つめてしまった。まるで自分の心境を見透かされたような与四郎の言葉。

「そう、だな。月の下では忍はできん」

「な」

互いに、言わんとしている事を悟って。同じ考えを持っている事に驚いて。

「また、いつか会えるだろうか?」

ぼそりとつぶやいたのは留三郎の方だった。与四郎は彼の笑顔で、馬を横づける。

「なあ、そっちにうまい菓子ってあんべな?うちの山野先生とか、突然わがままぬかして買ってこいとかお使い出されたりすっかもなー」

いたずらめいた笑みでそう言った与四郎。留三郎も吹き出してしまう。

「そうだな。美味い店はたくさんあるぞ。その時は旅人装って買いにくればいい」

そうして、願わくばまた月明かりの下で会えればと願う。

「んだなー。さあ、もう行かねーと。じゃあな留三郎。気ぃつけてな」

「ああ、いろいろ世話になった、ありがとう与四郎」

互いに口に出して『また会おう』などとは言わなかったが。

与四郎を追い越して道を駆けていく行く留三郎をしばらく見つめていたが、馬はあっという間に点となって消えていく。
そうして姿が見えなくなった頃、村に戻るため街道に背を向けて再び山道へと入るのだった。
 
 
 
 
「あ、お帰りー。遅いから心配してたんだ。秋休みぎりぎりだったね」

学園に戻り、学園長に目当てのものを渡した後に伊作がほっとした顔を見せて近づいて来た。

「ああ今帰った。いろいろごたごたしてな。でも間に合ってほっとしてる」

「お疲れさま。金吾と喜三太の文は渡せたの?」

「ああ、返事ももらって来たから今渡して来た所だ」

渡した時の二人の顔を思い出して、留三郎の口元がほころぶ。今頃一心不乱に読んでいる事だろう。隣で伊作があきれたような声をあげる。

「返事までもらって来たの?金吾のお父上はともかく、風魔の人たちまで?留さん大丈夫だったのー?」

矢継ぎ早の疑問符に、ちょっと落ち着けと制しながらその時のごたごたを思い出していた。

「まあ、ちょっとした行き違いはあったが、概ね問題はなかったさ」

疑われたり、薬入りの茶をわざと飲んだり、詰問されたりなど、問題だらけではあったが、伊作には何も言わない。言ったが最後どんな騒ぎになるか分からない。

「風魔にも中々面白い奴もいる事がわかったし」

脳裏に彼の笑顔を思い浮かべながら、そう告げた。

「なーんか留さん、とても嬉しそうな顔してる。よほどいい事あったみたいだね」

「そうか?」

「何ー?自覚なかったのー?」

それは一体どんな顔なんだと思ったところで、伊作との会話はいつぞやと同じように、喜三太の突撃によって断ち切られる事となる。

「けませんぱーい!ありがとうございましたー!金吾もお礼いってましたー。あ、いま金吾はかおあらってます。ないちゃったから。みんなからのてがみにも、けませんぱいにお礼いってくれってかいてありましたー」

「そうか」

泣いたのを隠したかったからここには来ずに、一生懸命顔を洗っているんだろうにあっさりとばらされてしまった金吾に少々同情しつつ、聞いた事は黙っていてやろうと思う。それに、うれし涙は悪いものではない。やはりもらって来てよかったと心底思う。

「あー確かにね。こんな顔されちゃうんなら留もはりきっちゃうよね。良かったね」

この後輩馬鹿め、なんて言葉は飲み込んだが、伊作の顔も自然と笑顔になっている。

「あとですねー、みんなに与四郎せんぱいの名前の事、おこられちゃいましたー」

まあ、そうだろうなとは思う。怒られたという本人があっけらかんとしているのでどこまでこたえたかは分からないが。
横では伊作が「何、何、何の事ー?」と騒いでいるが「企業秘密」とあしらってやる。

「それからー、与四郎せんぱいって、かっこうよくてーやさしくてーつよくてー、えーっとあとなんだっけ?」

突然喜三太の口から溢れ出した与四郎への賛辞に一体何事かと訪ねてみれば。

「与四郎センパイからのお手紙に、けませんぱいに、こう伝えてくれってかいてあったんです!」

人を目の前にして一体何を書いているのかと、盛大にあきれてしまう。

「まったく、彼奴は」

「ちょっと!それ留さんに何アピール?彼奴って誰ー!風魔の人?」

「伊作うるさい」

「ひどっ」

よよ、と頽れる伊作を無視し、きょとんとしている喜三太の前にしゃがみ込んだ。

「みんな元気でいるみたいです。ほんとうにありがとうございました」

「うん。よかったな。なあ、喜三太」

「はい?」

「風魔はいいところだな」

ぽんと頭に手をおいてにこりと笑ってやると、一瞬の後に喜三太は満面の笑みを浮かべる。

「はい!」

一際大きな声の返事をして、喜三太はきびすを返す。

「もういちどよんできますねー!」

「ああ。あ、そうだ喜三太ー!蛞蝓が入らない場所にしまっておけよー!」

「わかりましたー」

金吾にも言っておいてやらねば、大げんかに発展しかねないと余計な心配までして留三郎はその場を後にする。とりあえず部屋に戻って少し休みたい。
慌てて伊作が後ろから追いかけてくる気配を感じながら、彼にどこまであの村での出来事を話してやろうかと考えていた。
ただ、なんとなくあの月の下でのやりとりだけは、己の心の内にしまっておこうとぼんやりと考えた。
 
 
 
 
 
 


こ、後半が異様に長くなってしまいました。その割にはなんだかもうって出来ですが。
よしけまというか、よしけまっぽいというか‥‥前編との間が空いてしまった割にこんなオチでした。
 
当店の食満さんは、時々すかぽーんとぬけてます。普段はどちらかと言えば緻密な計算する方ですがたまに天然やらかします。
学年での実習時にそれが発動されると、あまりにもあからさまなため、立花、中在家辺りは逆に勘ぐるというか、深読みをしてしまい結果的にオーライだったりしますが、七松さんあたりはおかまいなしですのでうっかりミスが命取りになりかねなかったりする……といいな。
潮江さんは、たまに深読みしたり、またいつものだろって看破されたり、いつものだろって思ったら本当に罠だったり。伊作は全部の読みが裏目。そんな6年合同実習も面白いですね。
(ってあとがきに、よしけま関係ねー!)
 
無邪気にきさんたに「せんぱいたちってにてますよね。名字がよめないところとか」って言われれば言い(それはよしけまじゃねえ)