夜 間の自主鍛錬を一段落させて、文次郎は中庭を歩いていた。今宵は月も無く風もない。まさに忍にうってつけの夜。ここで終わらせるのも勿体無くてこのまま朝 まで鍛錬を続けようかと、そんな事をつらつらと考えながら小休止もかねてゆっくりと歩いていたのだが。
そこへ音も無くふらりと影が舞い降りた。
「…」
それが、今晩使いに出ていた留三郎のものであるとは、消していない気配ですぐに分かったが鼻を付いた血臭に文次郎は顔をしかめる。
「傷を負ったか?留三郎」
その問いかけにゆっくりと首を振る。
まあそうだろうとは思う。少々おぼつかないものの、彼はしっかりと自分の足で立っていたからだ。
「では、殺したか?」
その問いにも、暫くの後きっぱりと首を横に振った。
ではその装束に付いた血は己のものでも敵のものでもないのだろう。
「…見取ったのか」
疑問系でありながら、一筋ほども疑っておらぬ口調で言い切った文次郎に、留三郎はいつもよりも遥かに弱い視線を投げた。
僅かに笑っているようにも見える口元はただの自嘲で、ともすればすぐにでも泣き出しそうな顔としか取れない。
一歩二歩と文次郎に近づいてくる影を、自分からは決して近づく事も無くただ立ち尽くしてすぐ傍に来るのを待っていた。
あと一歩の距離まで近づいた留三郎にやっと手を差し出してぐいと引き寄せれば、されるがままに文次郎の腕の中に納まって。
それどころか、膝の力が抜けたかのようにずるずると崩れ落ちそうな身体を支えてやらなければならないほどだった。
文次郎は何も言わず、背中をしっかりと抱えて立ち尽くす。
留三郎も何も言わず、ただ頭を彼に預け残りの力を足に込めていた。
そこにあったのは既に焼け落ちた村。
使いの帰り道に通りがかった留三郎は一体何事かと目を疑った。
戦は遠く離れた場所であり、この小さな村になんの関係あったというのか。
ひょっとすると戦場から落ち延びた輩が無体を働いたのだろうか、あるいは性質の悪い夜盗の非常な振る舞いか。
ともかく、そこには行きに見た朴訥とした風景は欠片も見当たらなかった。
痛ましいその光景に足を止め、そこに暮らしていたであろう人々にしばし黙祷をささげた。やりきれない事ではあるが、このご時勢それはそれほど珍しい事でも ない。この村との関係はそれこそ通りがかりでしかないのだ、留三郎にできる事はただそれだけであった。
頭を一つ振って、踵を返そうとすると、風に乗って切れ切れの声が届く。
思わず振り返れば、崩れた土壁のすぐ脇に伏せた影が僅かに動いていた。
「おい!大丈夫か?」
まだ生きている、僅かに身を捩るその姿に留三郎は駆け寄った。
そっと抱き起こせばまだ幼い少女で。
視線をずらした留三郎は眉をきゅっと寄せた。これはもう助からないだろう。少女はそれほどに深い傷を負っていた。
それでもまだかろうじて動く手を必死に、自分を抱き起こした者へと伸ばす。
小さく呟かれる救済を求める声。きっともう目も見えては居ないだろう。そうでなければこんな忍装束の者へ助けを求めるはずも無い。
目が見えていれば、きっと己の姿は地獄へと連れ去る鬼の姿にでも映る事だろう。
ただ何も言わず、段々と冷えていく小さな身体を抱きしめて、やがてその手が力をなくし地に落ちるのを待ってから、留三郎はそっとその場を立ち去った。
少女を抱えながら、何を思っていたのか自分でも良く分からない。何を思いそうしていたのかは分からないが、ただその時にはそうすることしかできなかった。
じゃり、と留三郎の足元の砂がかすかな音を立てる。力の入らぬ足を無理に踏ん張ってるために不自然な力がかかっているのだろう。
こんな時ですら全身を人に預ける事をしない。ほんの少しだけ足りなかった力を借りただけだった。
それが歯がゆくもあり、またそんな奴だからこそこうしていたくなるのだと文次郎は思う。
やがて、肩にあった彼の頭がゆっくりと持ち上がっていった。同時に手にかかる重さも徐々に失われていく。
今や留三郎はきちんと己の足のみで全身を支えている。身体だけではなくその心の内までも。
彼が先程何を見て何を感じてきたのかは知らないし、尋ねる気もない。
更には、己にもたれている間に何を思いまた再び自力だけで立ち上がったのかはまったく分からない。
けれども、必要以上には人に頼らぬ留三郎が僅かなりとも縋ったのが己であった事とその為かは分からぬがきちんと回復をみせた事が文次郎には満足であった。
「世話をかけたな」
一体どこがだとは思ったがそれは音には乗せず、ただ口の端で笑う。
「ともかく風呂にでも入ってくるがいい。その格好では伊作がまた大騒ぎだ」
そうだな、と返事をしながらも己の装束を見て少し困ったような顔をする。どの道風呂へ行く前に着替えを取りに行かねばならない。その時に鉢合わせしてしま うだろうなとその光景を想像してしまった。
「…後で夜着持って行ってやるから直行しろ、面倒ごとは避けたいだろ」
「あ、ああ。悪い。お前鍛錬中だったんじゃないのか」
「いや、もうやめだ。俺の分で良けりゃ予備を貸してやる」
「って、お前も風呂入るのか」
「悪いかよ」
ふふんと笑ってやればあからさまにうろたえた顔をしているのが可笑しくてたまらない。
「…まあ伊作に見つかるのも面倒だからな…」
相変わらず素直ではなく、言い訳を探している留三郎に苦笑いをしつつ、それを許してやる。そうでなければ絶対に認めやしないだろうから。
浴場へと向かう彼に背を向け、文次郎は自室へと向かう。
やけに早い帰還に同室の仙蔵からの詮索が飛ぶのをどうかわすかを考えて、ほんの少しだけため息をつくのであった。
多分、この後風呂一緒に入って、以下略だとおもいますよ(台無しか!)
えっとコネタのトトロ文次郎とこの文次郎…でお分かりいただけたかも知れませんが、文食満が好きな割には作品が激少のは、私がまだ文次郎を図りかねている からです。
子供並の感情表現なへたれと、懐の深い男前、どっちもいいなあと思ってしまって。
タイトル改題:死と乙女(シューベルトの戯曲、略して「しおとめ」)