学園に響き渡る鐘の音を合図に授業は終わる。
いつものように、隣のクラスからは鐘の音と同時に轟音のような足音が聞こえ、反対隣からは少し落ち着いた足音が。
それらを追うように、担任教師の斜堂は足音もなくろ組の教室から姿を消したのだった。
屋根裏に行くか墓地に行くか相談している級友を尻目に、平太は委員会の仕事があるからと静かに教室から出て行った。
今日の仕事は何だろう、また壁の修補だろうか。穴埋めはあまり好きじゃないから違うといいけれど…そんな事を考えながら学園の裏手にある用具倉庫へと向かう。
行きがけに覗いたは組の教室は既に空っぽだったからしんべヱも喜三太も先に着いている事だろう。
そんな予想をしながらたどり着いた倉庫の前には、たった一人用具委員長だけが立っていた。
「よお、平太。お疲れさん」
「あ、はい…。あれ?富松先輩は?」
いつもいち早く集合している三年生が居ない。首を傾げた平太に委員長である食満が笑う。
「作兵衛なら、今日はいないんだ。三年は実習でな。授業事態はもう終わったが、ろ組だけは実習後にクラス総出で捜索隊に出てるらしい」
早いときには早いが、遅いときには埃まみれで疲れ果ててやってくる作兵衛の姿を思い浮かべ、今日は捜索範囲が広いだけに時間中に戻るのは無理なのだなと納得をした。
「しんべヱと喜三太は…?」
今度は反対に尋ねられて、平太はふるふると首を横に振る。
「そうか…」
今日はいつもどおりの授業だったし、は組が大騒動を起こしたとも聞いていない。教室にはもう居なかったから既に来ているかと思った位である。
またどこかで寄り道でもしているのだろうかと思ったその時に、ぱたぱたと軽い足音をさせて走ってきたのは、しんベヱたちと同じクラスの乱太郎であった。
「あ、食満先輩。えーっとですね、しんべヱと喜三太は先ほど学園長先生のお使いで金楽寺に行きました。私は用具委員長にそう伝えてくれと学園長先生から言付かってまいりました」
礼儀正しく伝言を告げる乱太郎の目線に合わせ、食満はしゃがみこむ。ぽんぽんと頭を撫でてにこりと笑った。
「そうか、確かに伝言聞いたぞ。ありがとうな乱太郎。お前もこれから委員会だろ?頑張ってな」
「はいっ!では失礼します」
一礼して走り去っていく後姿は、なるほどあれが噂の乱太郎の俊足かと感心するのだが、木の葉に足を取られてずっこけそうになっている辺りは流石、保健委員だと思わざる得ない。
食満は苦笑を一つ落としてから、平太へと向き直った。
「さて…って事は、今日は我々二人だけだな」
どうする?と首を傾げられて平太はその意図が読めず同じように首を傾げた。
「ほら、他の連中もいないし…平太も休みにするか?」
皆休みなのに平太だけ働くのってなんか悔しくないか?休んでも良いんだぞと目線を合わせて問う食満の言葉は純粋に平太を気遣う本心だ。
「で、でも…委員会のお仕事はあるんですよね」
召集がかかったからには用があるはずで、そうでなくとも倉庫の点検など通常の仕事だってあるだろう。いくら人数が揃わないからと言って無しにする訳にもいかないはずだ。
「んー、まあ、ほら、そこはそれ…」
食満はそんな事気にするなとでも言いたげに、言葉を濁す。その苦笑ぎみな表情を見て、もしここで諾と返せば、この先輩は一人で今日の分の仕事を片付けてしまうのだろうなと平太は思う。
そうして、平太は首をゆっくりと横に振った。
「大丈夫です。僕…一人でもちゃんと委員会します…」
「本当にいいのか?」
「はい…。それに作兵衛先輩は授業だし、しんべヱ達だってお使いで大変なのに僕だけお休みじゃ、悪いです…」
そう返事をすれば、食満はにっこりと笑って頭をくしゃりと撫でてきた。
「そっか。平太は真面目だな。えらいぞー」
勿論無理なんかしていない。どちらかと言えば、この委員長を独り占めできると思えばほんの少しだけ嬉しいなとすら思えてしまう。
いつだって、しんべヱや喜三太の勢いにはいつだって助けられてはいるけれども。
屈託の無い二人に出遅れてしまう事もあるから。
そんな小さな罪の無い下心も持ちながら、頭を撫でられた平太は少し口の端を緩めた。
「まあ今日はそんなに大した仕事があるわけじゃないんだ。二人でのんびりと片付けちまおうな」
ニッと子どもっぽく笑う食満と顔を見合わせて平太も笑う。きっと「大したことのない仕事」だから、平太が断れば自分一人で作業してしまうつもりだったのだろう。
「あ…でも…」
「ん?」
「…足手まといになったらごめんなさい…」
急 に頭をもたげた心配事。もしかしたら一人で作業した方が効率がよかったりするのかも知れない。自分はまだ三年生のように手伝いができる訳でもない。却って 手間をかけさせてしまったらどうしよう。委員会をやりたいだなんていうのはもしかして逆に我侭だったんじゃないだろうか。
途端、意気消沈していつもよりも更に下を向いてしまった。
けれども、食満はそんな平太の頭をより強くぐしゃぐしゃとかき混ぜる。頭巾が取れてしまいそうになるのを見て、慌てたように「ああ、すまんすまん」と直してくれるから。
恐る恐る見上げた顔は、まさに満面の笑みだった。
「平太の仕事は丁寧だからなー。手伝ってくれると助かるよ。あ、そうだ。この際ついでに簡単な修理の仕方覚えるか?それを平太がしんべヱ達に教えてくれたら、きっとあいつらも驚くし、喜ぶぞー」
平太の言葉に直接「そんな事ない」だとか「気にするな」だとかは言わないで、精一杯気を使ってくれているのは分かる。
だから、今日のこの偶然に平太は甘んじる事にした。少しはにかんだような笑顔を返したら、食満はもうこれ以上ないと思っていた笑みを更に濃くした。
それから二人だけの委員会を始めて。
普段ならしんべヱと喜三太と三人でやったり、作兵衛の手伝いでやったりするような作業も緊張しながら一人で平太は懸命にこなす。
幸いにして食満の言うとおりこの日の作業は大したものではなかったから、一人でもなんとかこなす事はできた。それに、隣で食満が丁寧に指導してくれたから、すぐにコツを掴む事ができたのだった。
勿論、大したことができた訳ではないが、自分ひとりの手で行った作業で、なんだかいっぱしの事をしたような気がして、とても気分がいい。
平太の手が少し空くと、食満はちょいちょいと手招きをして間近で己の作業を覗かせてくれたりもした。
それはなんて贅沢な時間だっただろうか。
簡単な作業ではあったが、たっぷりと時間をかけて、その後は倉庫の点検をする。
それでもいつもよりはほんの少しだけ早い時間に全ての仕事が終わってしまった。
どうするのかな、と思って見ていると、後ろ手に倉庫の扉を閉めた食満が平太を見下ろしてにっ笑う。
目をぱちくりとさせた平太の目の前に素早く差し出されたのはいくつかの木片。それは倉庫の奥に眠っている修理用にも使う事のできない廃材の一部だ。
「せんぱ、い?」
訳も分からず目を見開いたまま固まっていると、食満はその場にどっかりと腰をおろして、平太を手招きする。おそるおそる近づいて覗き込むと平太に木片の半分を渡された。
「?」
自分の手元と食満の手元を見比べているうちに、食満の手は器用に動き出す。
これはもしかしなくても真似をするべきなのだろうと、慌てて平太も自分の持つ木片を同じようにいじり始めた。
削ったり、切込みを入れたり、組み合わせたり。
少しややこしいところは丁寧に説明されたり、さりげなく手伝ってくれたり。
段々と何を作っているのか平太にも分かってきて、すぐに夢中になった。
「さあ、できた」
「…できたー」
満足そうな声を上げて、平太は手の中のものをじっと見つめた。それは子供だましかもしれない木のおもちゃ。
けれども、自分の手で作り上げたと思えば感動的ですらある。
食満の作ったものに比べれば幾分いびつではあったが、それでもこれは宝物になりそうだ。
「平太が、上級生になった時に下級生に教えてやるといい」
頭上から降って来た声にハッとして頭を上げれば。
優しく笑う食満の顔。そうして、平太の手の中にそっともう一つのおもちゃを置いた。
平太が作ったものよりもずっとずっと上手なそれ。そのうちに平太も同じくらい上手に作る事ができるようになるだろう。
その時に。
「はい…。先輩に教えてもらってすごく、嬉しかったから…。僕にも後輩ができたら…教えてあげたいです…」
二つのおもちゃをそっと手で包み込んで言う。
今日何度目か分からないけれども、もう一度頭をくしゃくしゃに撫でられた。
 

「あ、やっぱまだ委員会やってたんすね」
パタパタと足音がして振り向けば、そこには泥だらけの姿の作兵衛がいた。
「お、どうした?左門たちは見つかったのか?」
「ええ、なんとか。まったくあいつらは…」
「そりゃ良かった。で、どうした?今日は委員会来なくてもいいぞって言っただろ?お前まだ風呂にも入ってないじゃないか」
おそらく捜索から帰還して直行したと思わしき格好の作兵衛に食満が首を傾げる。何かと生真面目な彼の事だからもしかして仕事があるかと疲れた身体でやってきたのだろうか。 
「あ、はい。お言葉に甘えさせてもらいましたけど…。えっとですね。あいつら探してる途中に、柿の木と山葡萄を見つけたんで…今日休ませてもらった詫びにと思って…」
頭を掻いてそう言うと、背負っていた荷物をおろす。
その中には綺麗に色づいた柿の実と葡萄が丁寧にしまいこまれていた。
「うわ…こりゃすごいな。ていうか、よっぽど山奥まで迷子になってたんだな…」
その言葉に作兵衛は遠い目をする。
「は、ははははは…。まあ、ともかく皆で食ってくだせえ。ってあれ?しんべヱと喜三太は?」
今更気がついたように、きょろきょろと作兵衛は辺りを見回した。
「ああ、今日はあいつらもお使いでな。休みだったんだ。だから作が気を使わなくともよかったのに」
「ええ?じゃあ二人だけだったんですか?余計大変だったじゃないですかー!すすすすすすみません!!」
食満の言葉は逆に気を使わせてしまったようで、作兵衛はぴんと背筋を伸ばし何度も名度も頭を下げた。
こうなってしまった作兵衛はしばらくは何を言っても聞こえないだろうから、食満と平太は顔を見合わせ苦笑した。
そうしているうちに、どこからか爆発音が聞こえてくる。そんな事はこの学園では珍しいものではないが。
「くおらー!!お前達!またないかー!!」「「うわーん、ごめんなさぁーい」」
続いて聞こえた声に、作兵衛もやっと顔をあげる。
「しんべヱと喜三太も帰ってきたみたい…」
平太のつぶやきに作兵衛もそうだなあなんて呑気に返して。食満だけは、二人の前に聞こえた声と爆破音に、こっそりとため息をついた。
− お使いって仙蔵とか…。
この後、絶対に嫌味と八つ当たりの応酬がまっていると簡単に想像がつく。まあしんべヱと喜三太だって二人なりに一生懸命なのだけれども…そう無理矢理に己を納得させて今夜の災難の覚悟を決める。
「ま、あいつらも大変だったみたいだし。作のお土産は明日皆で食べよう。ああでも葡萄は今日中に食べたほうがよさそうだな。平太、手出せ」
葡萄の半分を平太の手に乗せて、食満はぽんと彼の背中を押す。
「これ、二人にも届けてやってくれ」
それで本日の委員会は終了の合図だった。平太はこくんと頷いて、葡萄をつぶさないように大切に抱えて一年長屋の方へと戻っていった。
それを見送ると、残りの半分を作兵衛の手に持たせる。
「これは、作と、迷子の二人で食べろ」
「ええっ!あいつらにですかっ!」
盛大に不満が出たけれども、笑顔を向けてそれを封じた。
「まあまあ、あいつらだって疲れただろ。あの二人のおかげでこれ見つけたんだし。いいじゃないか。柿は明日まで預かっておくな」
それでも作兵衛はまだ、あーとかうーとか納得を仕切れていないようだ。
「大体、それじゃ先輩の分がねーじゃないですか」
その言葉に笑って彼の手の葡萄の一部分むしりとって口に放り込む。甘酸っぱい香りが広がって目を細めた。
「うん、良く熟れているよ。俺はこれで充分だ。ごちそうさん」
作兵衛はぷうっと頬を膨らませて、ずるいとかぶつぶつと呟いている。それから、あっと思い出したように、食満に向かって詰め寄ってきた。
「そーだ!先輩!さっき平太におもちゃ作ってやってたでしょう!あれは俺がいつかあいつらに教えてやれって先輩が言ったんじゃないですか!」
ずるいとでも言いたげな作兵衛に、食満は笑って大仰に肩をすくめて見せた。
そう、あれはかつて食満が作兵衛にも作り方を教えた事がある。その時にも、後輩に教えてやれと言ったのだ。
作兵衛はそれをちゃんと覚えていて、後輩達に教えようとずっと待っていたのだと知って思わず食満の頬が緩む。
「すまんな。でも、さすがの作にだってあの三人にいっぺんに教えるのは大変だろ?」
「ええそりゃまあ…」
「だから、俺が作と平太、それから作が喜三太としんべヱ。二人ずつで丁度いいじゃないか」
うーんと唸って。なんだかごまかされたような気もするけれども、確かにあの三人をいっぺんに相手をするのはまだ作兵衛には荷が重いのは確かだ。
「大丈夫だよ、ちゃんと作はあいつらの先輩なんだから」
ぽんっと頭に手を載せられて。子供扱いだなあと思ったけれども。自分がこの人の後輩である事もやっぱり変わらないから仕方がないと思う。
いつか教えてもらったおもちゃはもうすっかりと、作ってもらった物と遜色ない物が作れるようになったけれども。
それでもやはり、あの時の思い出は大切な宝だから。
「やっぱ、ずりぃ…」
食満には聞こえない位小さな声で呟いて。
それから、もう一度深く一礼をした。
「じゃあ、この葡萄は遠慮なく俺らでいただきます!明日の委員会は、先輩と平太はちゃんと仕事少なめにしてくださいね!その分を俺達が引き受けますから!」
任せてください!と一声残して、作兵衛は三年長屋へと駆け出していった。
その後姿に、かつてまだ彼がもっと小さかった頃の背中が重なって、食満は夕日の照る中に淡い笑みを浮かべる。
先程の平太の背中には、もっと大きくなっただろう姿を思い描いて。
なんとも年寄りじみた考えだと、少しだけ己に呆れてしまった。
赤く染まった山から、カァと烏の鳴く声が聞こえて。
さて、仙蔵の嫌味を謹んで拝聴しようかと、六年長屋へとゆっくりと歩く食満の影が忍術学園に長く長く伸びていた。