「はてさて困ったな」 言葉程には困ってなさそうな口調で留三郎はつぶやいた。視線を落とせば自分の周りに下級生達が申し訳なさそうに集っている。 ここは学園近くの山の中である。ただし、その山のどの辺りなのかは判別はつかない。要するに迷っているのである。 事の発端は、最近あまりにも修補箇所が増えすぎて、普段修理用に使っている廃材が追いつかなくなった事にある。元々が再利用であるためにそうそう都合良く出てくる訳も無く、かといって購入などできる訳も無い。 町へ出かけてもらってくるにも限界がある。 そんな訳でそれならばいっそ少々の木材ならば山で調達するかと用具委員総出でやって来た訳であるが。 例によってナメクジを見つけては横道にそれていく喜三太を追いかけたり、歩き食いをしていたしんべヱの持っていた食べ物に惹かれた動物達に追いかけられたりと、不運委員会ばりの事故続きで闇雲に走り回った結果現在地を見失ってしまったのであった。 尤も、留三郎に関しては現在地を見失う事と帰り道が分からぬ事は同義語ではない。 ここがどこかと聞かれれば分からんと答えるが、帰る方向は見当がつく。尤もそれが平坦な道でなさそうなので足下の後輩達を見て気にしているだけなのである。 ともかく、日が傾く前には帰りたい。 少々の無理は仕方が無いかと留三郎は腹をくくる。 「さて、ここで問題だ」 一年は組の担任よろしく右手の人差し指をぴんと立ててにっこりと後輩達を見やれば。 「…」 「す、すばやいっ」 平太が呆然とし作兵衛が呆れる間に、しんベヱと喜三太は瞬く間に姿を消していた。 「あーっ、もう!テストじゃないから安心しろっ!出て来い!」 留三郎は近くの木に向かって叫べば、ずるずると喜三太が幹を伝って降りてくる。その足元の茂みからはしんべヱがひょっこりと顔を出した。 「えへへへへ…」 「もんだいって聞くとじょうけんはんしゃですー」 まったくもう〜と苦笑いをしながら、留三郎は彼らの担任の心労を慮る。 「じゃ、作。学園に帰るにはどっちに行けばいいと思う?」 「へ?俺?えーと…山は越えてないはずだから…子の方角っすよね?」 「はい。正解」 作兵衛にニッと笑ってやると、一年生の良い子達が質問の手を挙げる 「はーい!先輩!どうしてですかー?」 「僕達道に迷ってるのになんで分かるんですかあ?」 「…かなり走り回りましたよねー」 作兵衛がおいおいと言う顔を見せていたのを制して留三郎はこちらにも笑顔を向ける。 「それはだな。作兵衛はいつも三之助や左門を探し回ってて、俺は不運で迷子になってる伊作を探しているうちに勘だけで道を見つけられるようになったんだ」 「えー!先輩達すごい!!」 賞賛の声と羨望の眼差しを一年生達に浴びせられる背後から作兵衛の呆れた視線が突き刺さる。 「…というのは嘘だ」 お手本のように綺麗にコケる一年生と大きなため息を吐く三年生。道に迷った緊張をほぐそうと思ったのにと言い訳をしたら、「こいつらのどこに緊張感があるんですか」と至極真っ当なツッコミを入れられた。 こほんと咳払いを一つして。 「まあ、冗談はともかくとしてな」 これ以上冗談を言っていたら生真面目な三年生に悪いだろうと今度は真面目に根拠を説明する事にした。 「まあ、確かに走り回りはしたが、大きな谷などは越えていないし、山越えはしていないのは分かる。この山と学園の位置関係が分かってれば大雑把な方向が分かるだろ?僅かな差が致命的になるのはもっと詳細な場合か物凄く遠い場所の場合だ。…って、お前達分かってるか?」 途中で説明を一旦中断した留三郎の横で作兵衛が軽く首を横に振っている。しんべヱの目は離れているし、喜三太の頭にはナメクジが這っている。平太はなんとか理解しようとしているが頭の中で処理が追いつかないのか顔色がますます悪くなっていた。 「あー、すまんすまん。要するにだ。降りる方向さえあってりゃ学園の周辺には出られるから心配ないって事だ。そんでもって、その方向はさっきの作が言ってた奴だから」 苦笑いを浮かべながらしゃがみこんで彼らと目線を合わせてやれば、途端に三人はほっとした様子を見せる。 「ま、ちょっと道を外れたから少し込み入った道中になるかも知れないがな」 それにしたって日暮れまでには帰れるさと、彼らが不安に思う暇も与えない。 「んでもって、方角を知る方法だがー」 再び授業になりそうな気配に逃げようとするしんべヱと喜三太を捕まえて。 「こらこら、さすがにコレはもう習ったろ?」 え〜と、と眼を泳がせながら記憶の引き出しを探る二人。なんとか思い出したそれらを元気よく答えるしんべヱと喜三太に、その合間に控えめに付け足してくる平太。 そんな彼らの答えに一つ一つ間違いは訂正を入れ、今現在の状況に使えない物を振り分けて行く。その様子はただの先輩というよりは教師に近いような気がして作兵衛は思わず笑みを漏らしていた。 「とまあ、そういう訳で。今、子の方角を知るには〜」 授業擬きも終わったようで、にこやかに笑った留三郎がにこやかに笑いながら天を指差す。 「今の季節と夕べの月の形、太陽の位置、影の長さなどを使って〜」 少々入り組んだ説明はしんべヱの目がますます離れて行きそうなので省略をする。 「まあとにかく、時々確認しながら進めばじきに麓につくさ」 さてそれでは帰ろうかと、早速方角を割り出せば、くいっと留三郎の袖が引かれる。くるりと振り返り平太に向かってどうしたのかと首を傾げてやれば、おずおずと小さな声が。 「あの……そしたらっ…急がないと。もうすぐ雨降ります…」 「雨?そんな気配ねーけど‥?心配しすぎじゃねーのか平太」 きょろきょろと辺りを見回した作兵衛は、普段から心配性すぎる後輩を安心させるように言う。 けれども、それを遮るもう一人の声。 「でも!僕もそう思いますー!!だって、ナメさん達が落ち着きないんですー」 「それに、僕……雨降る予感ってあたるんです‥‥なんでってのは分からないですけど…」 「ナメクジとか、予感ってもなあ〜」 喜三太と平太の意見に作兵衛は困ったように留三郎へと助けを求めてくる。上手く納得させてくれと期待を込めた視線だったが、それを受け止めた彼の目つきは鋭く周囲を見回していた。 「先輩?」 いぶかしがる作兵衛の声をよそに注意深く周囲を伺う留三郎。いくつかの兆候を見つけ、小さくつぶやいた。 「……もしかしたら本当に降るかも知れない」 「ええっ?」 驚くのはしんべヱと作兵衛。空を見上げてもそれらしい雲一つなくどちらかと言えば快晴である。平太と喜三太の意見だけならばまさかと笑い飛ばせる事も留三郎まで同意したとあっては無視する事はできない。 留三郎の方とて最初から気づいた訳ではなかった。平太の担任、斜堂は学園の教師の中でも抜群に周囲の気配を察する事に長けている。彼の教え子であればその辺りに敏感になっていても不思議はない。また、喜三太の意見も重要であった。何せ彼は風魔の者であるから。 彼ら二人の一致した意見を笑い飛ばす訳にも行かず、留三郎はその知識と経験を持って辺りを探った。そうすれば。 確かにそのような兆候が見つかった。ただしそれは留三郎でさえも漸く気がつくようなかすかな前兆。作兵衛やしんべヱが気がつかなくとも無理はない。 「本当にほんとですかぁ?」 未だに信じられないようなしんべヱに、少し困ったように苦笑した。 「確証はないけれども、降ってもおかしくはないな」 「本当に、降るだーよ」 「!!」 控えめに意見を述べた留三郎の言葉にかぶさるように降って来た声。 脅えた平太は留三郎の背後に回り着物の裾をぎゅっと掴む。作兵衛はとっさに身を深くして体制を整え、しんべヱはぼかんと空を仰ぎ見た。 喜三太は驚いて目を大きく見開いた後、にっこりと笑顔を作り、留三郎は瞬間的に取った臨戦態勢をやや緩めていた。 四人四様の体制の眼前に、ひらりとその体躯が舞い降りる。 「よっ」 小さなかけ声とともに木の枝から綺麗に着地したその姿に、喜三太が嬉しそうに駆け寄った。 「与四郎せんぱーい!」 「おー、喜三太ー!ひっさしゃぶりだーなー」 「与四郎!」 あまりにも思いがけない人物の登場に留三郎の目が丸くなる。 その脇で作兵衛と平太は首を傾げ、しんべヱは記憶の棚からその風貌を探し出した。 「あー!喜三太の先輩だー」 「喜三太の…って風魔の?」 「そーですー」 会った事はなくともその噂は聞いたことのあった作兵衛と平太は、これがあの…とまじまじと彼を見つめ、与四郎はそんな視線を受け止めながら「そんなに見られたら照れんべー」と冗談とも本気とも付かない軽口を叩いていた。 「与四郎…お前こんなところで何してるんだ」 ひょんな事から個人的にも知り合いとなっていた留三郎はいぶかしげに彼を見た。 単なる喜三太の先輩としてだけではなく忍としての顔も知っているだけに、彼が今足柄から遠くはなれたこの地にいる事が自然とは思えない。 まして忍装束のままである。どう考えても何事も無いはずもない。 「あー、まあ。ちーとな。なーに、でーじょぶだ。でーじごとなら声かけねーし。気にやんなー」 眉間にしわを寄せる留三郎とは対照的ににかっと笑う与四郎の言葉は分かりにくくはあるが、どうやら厄介な事にはなら無そうだという事だけは分かった。 留三郎もそこは理解し眉間のしわを緩める。元より詮索をするつもりはない。確かに忍装束で忍者丸出しの身のこなしを持って、喜三太との繋がりも隠さず自分達に近づいてくるという事は、周囲に危険はないと言う事だろう。 「まあ、こいつらに厄介が降りかからないのなら何も言わんがな」 「はぁ〜やっぱ留三郎はえー先輩なんじゃん?」 へらりと笑って話を逸らす与四郎はやはり侮れないとは思う。だから、しんべヱたちがその話題の転換に見事に乗っかっているのを止めはしない。 「そーですよー。与四郎先輩も留三郎先輩も僕大好きですから」 「おー、喜三太、うれしー事せーじゃんかー」 「ところでー、与四郎さんて留三郎先輩の事知ってるんですか?」 「ん?知ってらーよ。前に色々世話になったし、めんどーもかけたし。おらも留三郎の事好きだべやー」 しんべヱの無邪気な問いかけに、こちらも一見無邪気にてらいなく答える与四郎。相変わらずの彼の言動に留三郎はがっくりと肩をおとしてしまう。 「お前は…またそういう事を…」 「えー。だってほんとーの事じゃん?」 「と、ところでっ!!」 脱力した留三郎やすっかり馴染んでいる喜三太としんべヱとは別に、このノリについて来れない作兵衛がひっくり返った声を上げた。 「ん?」 「さっき!本当に降るっておっしゃってましたがっ!それは本当ですか?」 端で見ていても分かる程の緊張振り。作兵衛にしてみれば初めて目の当たりにする風魔忍者である。喜三太は別として。どうやら彼の頭の中ではとても恐ろしげな印象があるのかもしれなった。 「別にとって食ーたりしねーからよ。そんなガチガチすんなー」 しゅんとしたように眉をハの字に寄せた与四郎と、更にそれを見てあわあわとしてしまう作兵衛に苦笑した留三郎は、作兵衛の頭に手を置いた。 ぽんぽんと軽く叩いて彼を落ち着かせる。作兵衛の肩の力が少しぬけたのを見計らい与四郎が人好きのする笑顔を浮かべる。 「あー。降るよ」 「なんで分かるのー?」 完全に緊張のぬけきってはいない作兵衛の代わりに、同じ疑問を投げかけたのはある意味で余裕のあるしんべヱであった。 「そーれはー。企・業・秘・密」 へらへらと笑って作兵衛やしんべヱの追求をのらくらと躱す与四郎。 えー、なんでどうしてーずるいー教えてーと物怖じせずに食い下がるしんべヱと、彼程直接的ではないものの同じような心情をこれでもかと視線に乗せてくる作兵衛。 これではいつまでも彼らの好奇心と向学心が満足すまいと助け舟を出したのは留三郎だった。 「ほらほら、与四郎が困ってる。忍者の企業秘密は聞かないのが礼儀だって習ったろ」 「えっと、てーこたぁ……」 さすがに作兵衛は与四郎が言葉を濁した理由を察したらしい。 それはいわゆる忍者の常識、とは一線を画す、彼らの……風魔独特の知識である。 元々風魔の者は天候などの自然の変化を察する能力に長けている。どこまで本当か分からぬが手練の者であれば自然の力を操れるなどという噂が真しやかに流れている程である。その真偽はともかく自然を読みそれを味方につけるのが風魔流忍術の根源でもあると言う。 その兆候がたとえナメクジだとは言え、風魔出身である喜三太も平太を肯定したために留三郎もそれを軽視はせずに辺りを探ったのだ。その上で与四郎も、となればこれは疑う余地はあるまい。 「そっちのちみっこいのも中々えー勘してら。風魔にスカウトしてーくれーだよ」 それは留三郎の後ろにひっついている平太への言葉。彼を見てにーっと笑った与四郎であったが、平太はそのまま更に留三郎の後ろに引っ込んでしまう。 「こらこら、平太はうちの将来有望な忍たまだ。勝手に引き抜きするんじゃない」 ずいっと二人の間に身体を入れて留三郎が平太をかばう。 「人を人浚いみたいに言うでねーよ」 そう笑った与四郎は安心させるように少しだけ距離をとる。 「さーあんまぐずぐずしてる暇あねーだよ。本当に降るべ。いーこと教えてやんべよ。さっき上から見てたらな。あっちに」 そういいながらひょいと腕を持ち上げて道を指し示した。 「おそらく人が通ってるらしい道が見えた。おらはこの辺りのこたあわかんねーけど、おめさんらならその道みりゃ帰り道もわかるべえ」 思いがけずもたらされた情報に、一同は歓声をあげる。 「本当か?それは助かる」 疲れきっている下級生達もいるところに道なき道を進むのも気が引けていた所であったから与四郎の情報はありがたい。 「おーよ。さーはよーはよー行ったほーがえーべ。雨どこっか、鳴る神さんくるべー」 「かっ雷ぃ〜?」 与四郎から出た言葉に一年生達のみならず作兵衛までもが情けない声を上げる。尤もそれも無理はない。空を揺るがし引き裂くかのような轟音と鋭い光が苦手でない者は少ないだろう。 「早く帰りましょうせんぱいー」 「…雷嫌いです」 「急ぎましょう」 「…与四郎先輩も、一緒に行きましょうよ。寄っていってくださいー」 帰路を急ごうとする面々の中、喜三太は与四郎の袖を引くが、その手を与四郎はそっと外した。 「わりいな喜三太。ちっとばかし用事があるから」 「ええええええ〜〜ここでお別れですかあ?」 途端じわりと浮かぶ涙を隠そうともせずに喜三太が泣き声をあげる。それでもしがみつきたいのをすんでのところで耐えようと必死な姿に留三郎がやさしく頭に手を置いていた。 「ほらっ喜三太!皆待ってるだーよ!まごまごしてっとかんだちさんおってくんぞ!」 その声に掻き立てられるかのように、涙の滲む目で喜三太は与四郎に手を振るとくるりと踵を返して友人と先輩の方へと足を進め、与四郎はその背中を手を振って見送った。 そうして、ちらりとまだその場に立ち尽くしていた留三郎へと視線を流すと、いつもの太陽のような笑顔を向ける。 「神鳴も悪かーないけどな。けーり道、気ーつけてっしゃい」 「……ああ。邪魔をして悪かったな。助かったありがとう」 「えーってえーって。ほれ、はよいけ」 「…またな」 短い会話を交わして二人は互いに背を向ける。 与四郎は再び木々の合間に姿を消し、留三郎は後輩達を率いて山を下っていくのだった。 与四郎の言葉通り少し進んだ所に人通った道らしき物が見つかった。普段使う道ではなかったが、その道筋のおおよその見当はつく。 何よりも通行のため多少ならしてある道は子供たちにとってありがたい。 この道を辿れば学園からさほど遠くない場所へと山を下りられるのは見当がついたので一同はその道を進む事にした。 「あ!先輩!空見てー!」 「うわっ雲が出てきた!すげー、本当に振りそうだ」 しんべヱが指差した空のかなたに突如湧き出てきた雲の塊。それを見た作兵衛が驚きと感嘆の声を上げる。 風魔ってのはすげーなあと少し喜三太の見る目が変わりそうだ。尤も本人はナメクジ壷を覗き込みニコニコと笑っているのであるが。 「それに、平太も中々凄いな」 「いえ…僕は唯の勘だし…」 その勘が凄いんじゃないかと留三郎が笑って。 「その才能伸ばしたら良いと思うぞー」 くしゃりと撫でた頭の下で平太もまた照れくさそうに小さな笑みを浮かべていた。 「って事は、雷ってのも本当に当たるかも知れませんね!急ぎましょう!」 作兵衛の一言で一同の足はにわかに早まった。平太などは既に小走りになろうかという勢いである。 「こらこら平太。あまり慌てると転ぶぞ」 そんなに雷が嫌いかと問えば、平太だけではなく一同から当たり前ですと揃った声が返って来た。 「雨はー、濡れるのは嫌だけどー、なめさんたちが喜ぶからまだいいです。でもゴロゴロさんは怖いですよ」 「そーそ、音も怖いし光るのも怖いし〜。僕布団かぶっちゃう」 「怖いですー」 一年生達程素直に怖いと言える訳もないが作兵衛も顔をしかめていてその心の内は似たような物だろう。 「ま、確かに雨は敵にも味方にもなるが、雷はなー」 忍びとしての働きをする時に、雨は不利にも有利にも働く。相手の気配を読みにくくなるのと同様に己の気配も隠してくれる。足跡を隠してくれる反面、泥などで跡が残る危険もあるだろう。下調べをしたはずの土地が雨によって印象を変えてしまう事もありうる。 雨という物は時と場合に寄ってその価値が変わってしまうのは忍びの基本である。 けれども雷は。 あまりにも味方につける事が困難だ。相手の混乱に乗じる事は可能であるが、暗闇に一瞬の稲光が走り己の姿をさらけ出してしまう事もある。 誰の味方にもならない、恐れ多き畏怖の対象。それが雷。 だから、よほどの事がない限り雷の晩には忍務は避ける、これが常であった。 そうして、留三郎は実を言えば雷がそう嫌いではなかった。 その理由は…。 「先輩っ!麓です。あ!なんだ、ここに出るのか」 留三郎が脳裏に稲妻を思い描いていると脇から弾んだ声がして。思い出したように前方を見れば確かに山を抜け、なんとか見覚えのある場所へと到着しつつあった。 「あー、これなら学園まで遠くはないな。雨が降り出す前に帰れるだろ。さあ皆もうひと頑張りだぞ」 「「「「はーい」」」」 そこからは学園までの道のりを少しだけ足早に抜けて行く。 結局出かけた目的を達する事はできなかったので、また近いうちにもう一度行かなければならないと、少しため息もつきたくなるが、なんだかんだと皆で出かけて行くのはそう面倒な事ではないからある意味楽しみですらある。 「すまんがまた皆で山に行く事になると思うが勘弁してくれ。じゃあ今日は解散だ。雨が降らないうちに早く部屋に戻れよ」 「「「「はいっ」」」」 さすがに疲れた足取りで三々五々に散って行く後輩達の背中を見送って。 留三郎は一人倉庫の点検を始めた。 倉庫を出る頃には驚く程辺りは暗くなり、ぽつりぽつりと雨が地面の色を変え始めている。 ちらりと空を伺った留三郎は、この雨はすぐに本降りになるだろう事と、それから彼のもう一つの予測も当たるだろう事を確信していた。 ならば。 あの男はきっと。 彼が己と同じ事を思っていたのならば、きっと。 予想通り本降りとなった雨の中、留三郎は歩く。視界の端には雨の中であろうとも構わず鍛錬をし続ける者や、もしかしたら雨さえ気づいていないのかもしれないまま走る者を捉えつつ彼らに合流する気はない。 おそらく長屋では雨漏りに足を取られ転んでいる者、火薬や書物が湿気ってしまうと顔をしかめている者達もいるだろう。 そんな友人達を尻目に留三郎は今日訪れた場所を再び目指した。 一度場所を把握すれば、二度は迷わない。昼間は道を見失ったが今度は迷う事はなく同じ場所へとたどり着く。 道中ですっかり雨に濡れてしまったが、幸いに抉れた山の斜面が簡素な軒のようになり雨を防げる場所が見つかった。 次第に勢いを増す雨音に混じり、かすかに聞こえる腹に響く音。まだそれは遠くから聞こえてくるがじきにこの近くまでやってくるだろう。 雨を凌ぎながらぼんやりと空を見上げれば、闇はどんどん深まって行き、既に目の前にあるはずの木の葉もおぼろげにしか見えない。時折針のように白くしぶきを上げる雨だけがこの世界の色だった。 そこに、響く轟音。 いつの間にかずいぶんと近くまでやって来たらしい。 そんな事を思った矢先に。 空を引き裂くかのような青い光。そして間を置かずに響いた世界を終わらせるかのような音。 大抵の者が怖がる稲妻を、留三郎は脅える事もなくぼんやりと眺めている。次に空が光るのを楽しみにしているかのようなその目線が、不意に空から目の前に移される。 その瞬間に再び光る空。 そして。 その一瞬の光に照らされて立つ男。 「やっぱ、いたか」 「やはり、来たな」 互いにその場に立つ事を驚きもせずに。 再び深くなった闇の中で互いに会話を交わす。 「神鳴んときゃ忍びはできねーからな」 闇の中でにやりと笑う気配がして、ずるりと音がしたのはきっとびしょぬれの頭巾を頭からはぎ取ったから。 留三郎はすっと身体をずらし、彼が雨を避けられる場所を作り、暗闇に現れた男は素直に留三郎の隣へと移動して肩を並べた。 「稲光を眺めるのは嫌いじゃない」 「おめーならそうだと思った」 「お前もそう言ったじゃないか、与四郎」 互いに真横で笑う気配を感じる。 「だからここ来たんだべー?さっき、『またな』って言ってたな」 「・・・さあな」 隣にいながらにしてその表情すらはっきりとは見えない闇にいながら、互いの思いは良く分かる。 その刹那、またも空を光が裂いた。 瞬間的に浮かび上がる顔。 与四郎と、留三郎は一瞬だけ視線を走らせて同時に空を見上げた。 「・・・綺麗だな」 「ああ。綺麗だ」 畏怖の対象であるはずの稲光。だがそれは同時に美しくもある。 ほんの刹那の輝きであるがその強烈な存在感は脳裏に深く刻まれている。 そして、この光の下でもまた、忍びとしての己は置き去りにしておけるのだ。 与四郎がどのような用件でこの場所にいたのかは知らないし問う気もない。 だが、雷鳴轟くこの場所に、忍びも風魔も関係のない与四郎という一人の男が立っている事だけは事実である。 同じく与四郎も、隣に立つ留三郎に同じ思いを抱いているからこそ。 二人は、今この場所に隣り合って立っている。 それはいつか二人がここから遠い場所で同じ月を見上げた日と同じ思い。 違う場所で違う光を見上げても。 いつしか天の怒りとも称される雷は遠く過ぎ去り、その存在を残すのはかすかに響くくぐもった音のみ。 空を引き裂く稲光は既になく、幾分小降になった雨が葉を叩き、再び闇が山を包む。 「与四郎」 「んー?」 「戻るのか?」 「ああ。もう用事はすんだからな」 「そうか」 交わされる短い会話。しかしそれだけで二人は充分だった。 次に再び会えるのはいつの日か。それは偶然か必然か。 一つも確約などできないから。 それなのに。 「じゃー、またな」 「与四郎?」 明るく笑ってそんな事をいう。 「今度は足柄でもこっちでも、お互いもちっとゆっくりできっといーな」 あまりにもあっけらかんとした口調に留三郎は絶句してしまうが尚も与四郎は続けた。 「んだって、今日も一緒に神鳴見てサー、やっぱオラおめーの事好きだなあって思ったからヨー。 そったら、月の下じゃなくても神鳴の下じゃなくても。カンケーねーべ」 相変わらず顔は見えない程の闇ではあるが。 それでも留三郎の目にははっきりと、あの笑顔を浮かべる与四郎が見えた気がした。 「お前って奴は……」 今までに幾度か呆れたり笑い飛ばしてきた言葉だったけれども。それが決して軽口などではないのだとやっと気がついた。 そして同時にそれを………困らずに受け止める自分も自覚して。 クッと喉を鳴らして留三郎は笑う。 「っはははっ!」 「留三郎?」 疑問系の声を出しつつも穏やかな気配を漂わせたまま与四郎は留三郎がひとしきり笑うのを待っていた。 「ははっ!そうだな与四郎。確かに月も雷も関係はないようだ」 「だろ?」 「ああ。ほら、もう行かなくていいのか?」 「ん。じゃーな留三郎」 「ああ、またな与四郎」 留三郎の言った一言に与四郎の気配がぱっと大きく膨れ上がって。 そして一瞬の後に闇にまぎれて彼は姿をけした。 その気配を追う事もせず、留三郎は己の頬に指先を触れた。 闇の中で彼が姿を消す前に、一瞬だけ触れたその箇所を。 「あの、馬鹿……」 畜生。自覚したばかりだと言うのに。 いつかも分からぬ次に会える日を、もう楽しみにしてしまっている。 「くそっ」 胸の内で完敗を悟って悪態をつくと、留三郎は雨の中元来た道を走り去って行くのであった。 誰もいないその場所に残された忍者にあるまじき二つの足跡。 それぞれがどこからやってきてどこへ消えたかは跡形もないが、二人がそこに居た痕跡だけはしっかりと残されている。 その足跡も降りしきる雨にやがて消え去って行くだろう。けれどもあの瞬間に、二人が己が何者であるかすべてを取り払いそこに居たという事実を、もはやその場を去った神鳴だけが天から見下ろしていた。 大変大変お待たせ致してしまいました。10000HIT記念リクエスト第一弾 月夜〜設定の与四食満。 いわば神鳴夜の物語。月と同じ理由で互いの立場を捨て去れるのが雷の下。 そこから一歩前進した二人です。なんともまだるっこしいですが、これでも与四食満と言えるでしょうか?? 与四郎の「好き」が軽口ではないと言う事と、漸く留さんが自覚したって事で関係性も一歩前進?? ちなみに作中の風魔は………昔読んでたお庭番も出てくる漫画の、風魔さんの設定をちょこっとお借りしております(自然現象云々)。 丁度45巻でも風魔が行者からの転換と説明されてたので……あながち丸無視にならなそうでほっとしてます(書いてる間に発売だったので) それにしても例によって無駄に長い割に与四食満部分が少なすぎて申し訳ないです。色気もないし。 お待たせしたあげくにこの体たらくですが、リクエストくださったネココ様に捧ぐ。 ※神鳴、鳴る神、かんだちさん、ゴロゴロさん、すべて雷の別称です。 |