用具委員(いまんとこ)全員集合、と顧問である吉野に呼び出されて用具倉庫の前までやってきたはずなのに。
そこにいたのは、呼び出した本人と、三年生が一人、それから隣のクラスの一年生。
そんな顔ぶれに、今やってきた二人の一年生が混じって総勢五人になった。
遅れてきたしんべヱと喜三太がきょろきょろと辺りを見回して不思議そうに三年生へと疑問を呈する。
「作兵衛先輩〜、留三郎先輩はぁ?」
授業がない限りはいつもいの一番で駆けつける用具委員長の姿が見えないのは大きな謎だと素直な質問である。
「うーん、まだみてえなんだよな」
ところが作兵衛も首をかしげて不思議そうである。そうなれば必然的に次に視線を送られるのは吉野であるのだが。
「ふむ…。六年生は今日海へ出かけていたんですが、別に難しい実習と言うわけでもなくタダの見学ですし。第一全員時間通りに引き上げたと言う連絡も貰っているのですがねえ」
吉野すら困ったように首を傾げれば、下級生達は何かあったのだろうかと心配そうな顔を見せる。
吉野がしまったと、とりなしをしようとした所に慌てて走りこんできた深緑の影。
「すいませんっ遅れました!」
深々と頭を下げてようやく登場した用具委員長の姿に、吉野は目を丸くした。
「ええまあ、まだ始まってませんからそれは良いのですが…どうしたんですか?食満君その様子は」
遅刻を咎めるより先にそう言いたくなるのも無理はない。
吉野だけではなく、後輩たちも気遣わしげに留三郎を見やるのだ。
そんな留三郎の出で立ちとは、いつもの制服は変わりはないが、頭の上からつま先まで散々なていである。
びしょぬれではないのが幸いと言うべきか、それでもところどころは色が変わるほどに濡れている。砂や泥がこびりつき、制服よりも更に濃い緑色は藻の類なのだろうか。良く見れば肩からわかめまで垂れ下がっている。
「あ、いやその…授業の終わり際に伊作が…」
口を濁してそれだけを語ったが、一同にはそれだけで充分であった。級友の起こした何がしかの不運にまた巻き込まれたのだろう。
「あ、巻き込まれたんじゃないぞ。潮溜まりに落ちた伊作を助けてて」
「いやそれ充分に巻き込まれたって言いますよ」
留三郎の言い分としては、一緒に落ちたとか助けようとして引きずり込まれたのであれば巻き込まれたと言うのだとの事だが、作兵衛にしてみればここまでの被害をこうむっている以上これだけで充分に巻き込まれたと言うのだと思う。
勿論一年生三人の意見はどちらかと言うと作兵衛の意見よりである。
ともかく、張本人である伊作は頭からずぶぬれであったので風呂に叩き込んで来て、彼の分まで教師への報告を済ませていたら遅くなったので彼自身はなんの後始末もせずにここへ駆けつけたらしい。
吉野としては、そんなもの誰かに託一つでもすればいいものをと思うのだが、それを良しとせず自ら必ず駆けつけようとするこの生徒の気質は長い付き合いで分かってはいるので敢えて口には出さなかった。
自分にはとやかく言うよりも他にすべき事があるなと、吉野は手早く用具委員への用事を言いつけて足早に去っていく。
残された生徒達は何か言いたげに委員長を見やるのであるが、さー行くぞぉっとやる気満々の留三郎に気おされたように後をついて行くしかないのであった。
「先輩〜せめてわかめは取ってくださいよ…」
用具倉庫の前で作兵衛の困ったような訴えを聞き、それもそうかと払いのけようとした所、それよりも早く小さな手が伸びてきた。
肩からずるりと垂れ下がるわかめの端を喜三太と平太が引っ張っている。
どうやら取ってくれようとしているのだと気がついて留三郎の目じりも垂れ下がる。
二人の手によって肩から落とされたわかめはかなりの大きさで喜三太はそれを垂れ下がらせて遊んでいる。その反対側で今度はしんべヱが肩に手を伸ばしてきた。
「あれ?こっちにも何かついてますー。うわあ〜長い」
しんべヱが引っ張ったそれはわかめより細長くまるで紐のような形をしていた。
はじめてみるそれに一年生も三年生もなんだなんだと覗き込む。
「ああ、それは竜宮乙姫元結切外だな」
「りゅーぐーのおとひめの…え?」
まるで呪文のようなその名前を覚えられず聞きなおすのに、もう一度ゆっくりと言ってやって。
「ほら、女性の元結みたいに長いだろ?だから乙姫様の元結が切れて浜辺に打ち上げられたみたいだってこんな風に呼ばれてるんだ」
「へえ〜〜」
そういいながらひゅんひゅんとその海草を振り回して遊ぶしんべヱに喜三太がわかめを持って応戦する。
「こら!遊ぶな!それから先輩、わかめも乙姫様もいいですけどね、先輩の頭巾も取っちゃったらどうですか?」
「え?」
「泥まみれですよ、結構濡れてるし…それで倉庫入ったら埃まみれになっちゃいますよ」
作兵衛の提言にそっと頭に手をやれば確かに嫌な感触がして手には泥がついてきた。
かと言ってこれから倉庫に入るわけだしどうせ埃まみれになるのなら同じ事かなとも思ったのだが。
「だからっ!そんだけ濡れてたら風邪引いちゃいますって。ほらっしゃがんでください」
有無を言わせず怒られて、思わず腰をかがめたら丁寧に頭巾を剥ぎ取られてしまった。
「ほら、こんなに濡れて、汚れも酷いし…って、すっすいません!!俺っ」
今更我に返ったのか、先輩を叱り付けた事に対して途端に恐縮して怯えまくる作兵衛を安心させるように笑いかけてやる。
「いや、こっちこそすまん。確かにどろどろだな。ありがとう作兵衛。勿論皆もなー」
泥だらけの頭巾を受け取り傍らへと置いておく。それからまだ遊んでいた喜三太としんべヱをなだめて、全員そろって用具倉庫へと改めて足を踏み入れたのだった。
 
「はいどうぞー」
「あ、喜三太これじゃない、そうそっちだ。ん、ありがとう」
「せんぱーい、これは?」
「あーちょっと待ってくれしんべヱ。…よし、えーとそれはあっちだな」
「平太、そっち頼む」
「はい。これで大丈夫ですか?」
「おー」
顧問に頼まれた作業は、どこかに紛れてしまった用具の捜索と、別の用具の個数確認。それから通常の業務も合わせて手分けをして作業に当たる。
留三郎・喜三太・しんべヱ組と作兵衛・平太組に分かれて、倉庫のあちらとこちらで作業を進めていた。
探し物が上手く見つかればすぐに終わるのだろうが、そうは甘くない。結局しらみつぶしに当たるしかない。更に、探し物の法則として。
「どーして、一番最初に念入りに探したはずのところから最後の最後に出てくるんでしょうね…探し物ってやつぁ…」
脱力したような声でがっくりと作兵衛が言い放つ。
彼の周りでは一年生達も口を尖らせて異口同音に理不尽さを嘆いている。
そんな後輩達を宥めて留三郎自身も苦笑した。
「そーいうもんなんだよなあ・・・っとに」
それでも、もしこれが保健委員会であったならやっと見つけたと喜んだ弾みで棚がひっくり返って全てやり直し…になるだろうなと思えば多少は心が軽く・・・なったような気がしなくも無い。
「どっちですか」
そう言ったら、一応のツッコミをいれながらも小さく噴出した作兵衛もその意見には賛同のようだった。
それぞれ級友の姿を思い浮かべた一年生達は苦笑どころか遠慮なく笑っている。
誰かの不運と比べて安心だなんてあまり褒められた事ではない。
だから、もしかしたらそれは。
罰が当たったのかも知れないけれども。
「わっ」
「うひゃあ」
「ひええええ」
おなかを抱えて大笑いしていた一年生達が、笑いすぎたあまりに体勢を崩してしまった。最初が誰だったのかなんて分からない程に団子状態で後ろの棚に体当たり。
不幸な事はその一年生の中にしんべヱがいたという事実。並みの一年生三人分の衝撃とは比較にはならない。
「だっ大丈夫か?
「おおおい!お前らー!倉庫で転がるほど笑うなー!」
背中やら頭やらを強かにぶつけて泣き声を上げる三人に先輩達は手を差し伸べて立たせてやるのであった。
怪我などしていないかと確認をして、なだめてからあんまりふざけてはいけないと注意をする。
「ごめんなさ〜い」と良い子のお返事をする三人に、作兵衛はしょうがねえなあと口をひんまげながらも満足そうに頷いて。留三郎はくしゃくしゃと順繰りに頭を撫でてやった。
そんな彼らの頭上で、カタリと小さな音がした事に気がついたのは留三郎のみ。
頭を撫でられて嬉しそうに微笑む三人を苦笑して見ていた作兵衛には、そのとき何が起きたのか分からなかった。
四人まとめて突き飛ばされてしりもちをついた後にガチャンッと言う音。
目を白黒させて作兵衛がまずいままでいた所に目を走らせる。それからしんべヱ、喜三太、平太が大きな声を上げた。
「うわあ〜〜先輩大丈夫ですかー!」
その声で我に返った作兵衛が慌てて立ち上がる。
「せ、せんぱ…髪っっ」
片膝をついた留三郎の足元に転がっているのは、先程の点検で要修理と判断して避けておいたクナイと手裏剣だった。
ぱらりと頬にかかる髪の毛。常ならばあまり見ることのない姿の原因は、同じく足元に落ちている彼の元結だ。
ほどけたりした訳ではないのは、いくつかに切れたその姿で分かる。
「先輩っ!け、怪我は!!」
落ちてきた手裏剣かクナイで紐が切れたのだという事は明白で作兵衛の顔は蒼白になる。
けれども、それに対する留三郎の返答はなく慌てたように後輩達へと駆け寄ったのだ。
「あ!すまんお前ら!つい突き飛ばしちまった!大丈夫か?しんべヱ、喜三太、平太はさっきぶつけたとこもう一度当たったりしなかったか?作!すまんっ」
きっと己の髪が落ちてきている事にすら気がついていない留三郎に、ぶちんと切れたのは作兵衛だ。
「先輩!!何言ってんですか!!寧ろお礼言わなきゃいけないのはこっちだってーのに!!馬鹿な事言ってる暇があったらご自分の怪我を確認してくださいー!!!」
その怒鳴り声に留三郎は勿論一年生達もあっけに取られてしまった。一瞬後に一年生三人は留三郎の元結が解けていることに気が付き騒然となり、留三郎も漸く頬と襟足に落ちる髪に触れるのだった。
「わあああん、先輩大丈夫ですかー?」
「頭怪我してないですかー?」
「ぼぼぼぼぼ、僕達がぶつかったから落ちちゃったんですよね…」
わあわあと騒ぐ一年の声を聞きながら留三郎はその手を頭に突っ込むとするりと髪を梳く。
そうする事で怪我などは何もないと安心させて、それから足元に散らばる紐を拾い上げた。
「大丈夫だ。すっげーギリギリで掠めたらしい。まあ元々ぼろ紐だからな、ちょっとかすっただけで切れちゃったんだろ。そんなに心配してくれるな…ありがとな」
しんべヱ、喜三太、平太の三人はそれを聞いてほっと息を吐いた後に、殊勝に倉庫の中でふざけてしまった事を詫びる。
「まあ、元々俺が笑わせちまったようなもんだし…。ま、こんな事もある訳だから気をつけろよ」
「「「はい」」」
そんな中で作兵衛の視線は定まらず、顔色が酷く悪い。
「せんぱい?」
平太が心配そうに見上げていると、やっと気がついたように視線を戻した。
「どうしたんですかー?」
「あ、いやなんでもねえ…。先輩、ありがとうございました。ほらオマエラもお礼言え!」
未だ蒼白な顔で喜三太に返事をしてから、三人の頭を押さえつけるようにして自らも頭を下げる。
声の揃ったありがとうございましたーの合唱に、もういいからと手を振った留三郎は作兵衛を複雑そうに見下ろした。
おそらくこの三年生は気付いたのだろう。誰一人怪我もせず済んだ事が奇跡的な幸運だという事を。
元結が切れたと言う事は当たり所が悪ければとんでもない大怪我をする可能性だってあったのだ。
留三郎が四人を突き飛ばさなければ、その犠牲になったのは自分達だっただろうと言う事も。
それを実感として感じれば、改めて恐怖が襲ってきても仕方が無い事だ。
なまじ一年生より状況把握できているだけに、取り乱すのも無理は無い。
留三郎の予想の通り作兵衛の足は恐怖から僅かに震えていた。もし、は無いと知ってはいるが、床に散らばるクナイや手裏剣が自分達の身に降り注いでいたらどうなったのか。そんな考えにとらわれる。
けれども、それ以上の恐怖は自分達を助けてくれた先輩に落ちたそれらがほんのちょっとでも彼を傷つけていたらと思ってしまったこと。
彼の手は四人を突き飛ばしたために自分を守る事に対しては動かなかったのだ。
もし…頭から振り払っても振り払ってもその光景が脳裏から離れてくれない。
そして、同時に沸き起こる心からの感謝。
恐怖だったからこそ、彼が己の身を顧みず動いてくれた事がどんなに凄い事だったのかと痛感する。
その恐怖と感謝がない交ぜとなって作兵衛はどうしたらいいのかわからなくなってしまっていた。
そこへ、降りかかる一つの声。
重たい音を立てて開いた倉庫の扉。
外の光と同時に現れた人影。
「おや、どうしました。何の騒ぎですか?」
「あ、吉野先生!」
「吉野先生、お騒がせしてすみません。大体終了いたしました。後はいくつか手入れをする物が残っているだけです」
すぐに姿勢を整え、吉野に報告をする留三郎ではあったが、吉野の視線はその頭に釘付けになる。
「それはご苦労様です。ところで食満君…いったいどうしたんですかその様子は?」
はてさて先程も同じ台詞を口にした気がするなと思いながらも、そう聞かずにはおられない。
「あー、これは…」
髪を手でかきあげながら説明をしようとする留三郎をさえぎったのは作兵衛であった。
「先輩はっ僕達を、庇ってくれたんです」
ぴしりと背筋を伸ばし両手を脇に貼り付けて、カチンコチンに固まって叫ぶ作兵衛と頬にかかる留三郎の髪、それから床に散乱する物に交互に視線を走らせて、先程起きたであろう出来事を吉野は大まかに把握する。
ははあ、と口の中でこみ上げる笑いをかみ殺して、手に持っていたものを留三郎へと差し出すのであった。
「これは?」
「職権乱用ですけどね。内緒ですよ。使いなさい」
受け取って広げてみればそれは今着ている制服と同じもの。本来制服は学園から支給されるものであり、何がしかの理由で新たに必要な場合は所定の手続きを踏まねばならない。勿論その管轄は用具主任である吉野である。
「え…と…吉野先生?」
「そんなに汚れてしまっては洗わなければならないでしょう?これから洗っていたのでは大変ですよ。明日はこれを着ると良いですよ」
にこにこと笑って、内緒だと言うように指を一本立てる。
「しかしっ汚れは私の失態ですし…」
さすがにそれは受け取れないと、手に持った制服を吉野に返そうとするのだが、その手をそっと押し戻される。
「いつもいつも倉庫で埃まみれで仕事してもらっていますからね。今日だって急な呼び出しがなければそのまま片付けも出来たでしょうに。まあコレは私からのお駄賃という事で」
そんな風に言われてしまえば無下につき返すわけにも行かず、深々と礼をして制服を受け取った。
「では、この制服がぼろぼろになる位に委員会の仕事をさせて頂きます」
この留三郎の返答はお気に召したようで、吉野はニコニコと笑って頼みますよと頷いた。
そんな顧問と先輩のやり取りを後輩たちは興味深そうに見入っていた。
「ほえええー、大人の会話って奴だねえ」
「あー、パパがこういうの良くやってるよー」
「そうなのー?」
一年生達の小さな声で作兵衛がはっと我に返った。
「先輩!じゃあせっかくですから、先輩はそれもってもう風呂に行っちゃって下さい!」
「え?まだ仕事残ってるじゃないか」
「俺達でやっておきます!その頭じゃ仕事しにくいでしょう?」
「いやまあ…確かにそうだがこの位は…」
「いーえ!さっきの侘びと感謝ですから!それに俺、先輩に一番最初に教わったの手裏剣の手入れですよ!得意なんです!任せてください」
ぐいぐいと背中を押す作兵衛に困ったように吉野を見たが、彼もうんうんと頷いて作兵衛に賛同したのだ。
「それはいい考えですね。ほらほら、早く行きなさい」
そのうち一年生たちまで便乗し、足をぐいぐい押されたり手を引っ張られたりととうとう倉庫の外へ追い出されてしまった。
これでは仕方がないと、後輩たちの頭を撫でてからその好意に甘えさせてもらう事にする。
「分かった分かった。じゃあお言葉に甘えて俺はこれで抜けさせてもらうな。ありがとな」
そう言ってひょいと拾い上げる元結紐の残骸。
「どーするんですかそれ?」
喜三太の疑問には、「もったいないから直して使う」と答え、「さすが委員長〜」と明るい笑顔の返答を貰った。
お疲れ様でしたーの合唱を背中に聞きながら、留三郎は吉野と二人連れ立って倉庫を後にする。
「食満君、嬉しそうですね」
含み笑いの吉野に言われて、留三郎は照れたように頭をかく。
「制服ありがとうございました」
もう一度深々と頭を下げて、職員室と六年長屋へとそれぞれ分かれていくのであった。
 

「おらっ!ちゃっちゃと残りの仕事やるぞー!」
「はーい!」
「いーかー、やり方教えっからちゃーんと見てろよ」
「はーい」
「俺も一年のときに先輩に教えてもらったんだからな」
「はーい!」
一方の倉庫では残された下級生達が作兵衛の陣頭指揮の下おぼつかない手つきながらも着々と作業を進めていた。
作兵衛は昔習ったとおりにしんべヱ達に教えはするが、内心では不安でいっぱいだった。
かつて自分が教わった時のように、この後輩たちへもきちんと伝えられているだろうかと。
それでも、喜三太が手順を間違えれば直してやり、平太が持ち方を誤れば正しく持たせてやる、しんべヱには一緒に作業をして。
最後の一つの手入れが終わった頃には一年生三人は目を輝かせて作兵衛にお礼を言ったのだ。
「ありがとうございましたー」
「これで僕達もちゃーんとできるようになります」
「…留三郎先輩もきっとびっくりしますよー」
平太の言葉に、は組の二人も頷いて「ねー!早く見せたいよねー」とはしゃいでいる。
「…そっか。お前らがんばったな」
へへっと鼻の下をこすった作兵衛は嬉しそうに笑って、倉庫の鍵を閉める。
あとは解散を申し渡すだけであるが、そこでふと作兵衛は先程の情景を思い出した。
「せんぱい?」
急に動きを止めた作兵衛を不思議そうに覗き込んだ三人に、作兵衛は小さく声をかける。
「なあ…」
 
 
留三郎が長屋に戻ると先に部屋に戻っていた伊作が振り返る。
「あ、今日はありがとう。君はそのまま委員会だったの?」
「ああ」
「ごめんねー。留三郎だって泥だらけだったのにねー。先生の報告までしてくれただろ。本当に助かったよ…ってどーしたの?機嫌よさそーな顔して」
精一杯顔を引き締めていたつもりだったのだが、どうやら伊作にはお見通しのようだ。尤も引き締めていたつもりなのは留三郎だけで、伊作にとってみれば不自然にしかめつらをしているくせに妙に口元が歪んでいて、溢れる笑いを我慢しているようにしか見えなかったけれども。
「いやー、それがさー」
もう隠す必要もないかと、相好を崩した留三郎は頭をかきながら自分を気遣って自慢の後輩達が先に返してくれたのだと説明をする。勿論吉野からの労いは内緒であったが。
「で、その頭どーしたの?紐切れちゃったみたいだね」
「ああ、これはちょっとな」
そんな事どうでもよさげな留三郎であったが、付き合いの長い伊作には彼が何を軽んじているかを熟知している。それはつまり己の身。
留三郎はただ後輩達の心遣いとしか言わなかったが、きっとまた己の身を挺して感謝されるような事をしたのだろうと伊作は見当をつける。
それが彼らしいと思っても、もう少し自分を大切にしても良いんじゃないかとつい口を出したくなるのを必死で耐えている。
「ま、その辺りは後でゆっくり聞くとして、せっかくだから留三郎も早くお風呂入って来ちゃいなよ」
しんべヱ達の好意を無にしちゃ駄目じゃないかなんて言い方をすれば、それもそうだと素直に風呂に飛んでいく留三郎の背中を伊作は笑いながら見送った。
 
「ねー、それでどーしたって?」
「何が?」
「だから、髪」
暫くして風呂から上がった留三郎は手元に明かりを灯して何かに熱中している。それを両者の間に立てたついたてに身を乗り出して覗きながら伊作は尋ねてた。
「あー、これか。棚から手入れするために別にしておいた手裏剣が落ちてきてな。紐を掠めてったんだ」
「ちょっ!それってちょっと間違えば危なかったんじゃない?怪我はしなかったの?」
「おう!運が良いだろ?」
いやいや、運が良かったらまず落ちてこないとかそういう突っ込みは、不運委員長という身からして言いたくはないが、心の中では大絶叫である。
まあ結果的に怪我をしなかったならいいけどとぶつぶつ言いながらそれ以上の言及は避けた。
留三郎はそれしか言わなかったが、きっとこれが後輩がらみなんだろうなあと正しい予想をして。
あとはじっと手元に集中する留三郎を見る。
「で、何それ」
「だから、紐を編みなおしてる。予備ねーからな」
「なるほどね。でも作業するのにそれ邪魔だろ?今だけでも貸そうか?僕は予備あるし」
「本当か?それは助かる。結構細切れでな」
伊作と違い中途半端な長さの留三郎の髪は掻き揚げても掻き揚げても落ちてくる。これでは集中しずらかろうと提案した事であるが、本当なら別に予備の結い紐などあげてもいいのだ。
けれどどうにも義理堅いこの友人はあまり良しとしないから。下手に恩に着られるよりは貸すだけの方が話は早い。
これが逆の立場なら、何も考えずにすぐに差し出すくせに。
伊作から受け取った結い紐で手早く髪を縛るとまた作業に没頭する。確かに彼の言うとおりかなり小さく細切れになってしまった元結紐は修繕するのが大変そうだ。
「いっそ買いなおせば良いのに」
「…この間町で饅頭を土産に買ったからな。金がない」
どんだけ饅頭買ったんだと思ったが、土産と言うからには後輩の分だろう。彼の所の後輩を思い浮かべれはそれは尋常な量ではないはずだ。
思わず納得して、それから。金欠になるほど土産を買うなと密かにまた突っ込みを入れるのであった。
「…っと、よし。まあこんなもんだろ」
そう言って目線に掲げた指の先からぷらんと垂れる細い紐。ところどころこぶになったように歪んでいるのは、切れた部分をつなぎ合わせて編みこんだ場所だ。
「…それ、やっぱり新しくしたら?」
お世辞にも綺麗とは言いがたい。
「別にいーだろ。女人でもあるまいし。どうせ埃まみれだ」
確かにそれもそうだと伊作は肩をすくめる。結局は用が足せればそれでいいのだ。見目にこだわるかどうかは個人の勝手である。
尤も、時々この友人は単にモノが捨てられないだけなんじゃないかとも思う。なまじそれらを修理して再生させてしまう腕があるだけに、始末が悪い。
勿論伊作だってそれの恩恵には色々あずかっているので、取立て何を言う事もない。
せっかくお互いに今宵は少し余裕があるのだから、少しはのんびりするのも悪くないだろうと、二人分のお茶を入れる準備をするのであった。
 
 
翌日、汚れた制服の洗濯を終え留三郎は後輩を探す事にした。
この日は委員会活動があったわけではないのだが、一言礼が言いたかったのだ。
きょろきょろっと辺りを見回して、浅黄色の制服を見つけるとそちらの方へと足を運ぶ。
「あ、乱太郎。しんべヱはどこにいるか知ってるか?」
「しんべヱですか?えーっと確か…今日は忙しいとか言って喜三太とどっか行っちゃいましたー」
「喜三太も?」
「はい。どこに行ったかまではわからないんです。すみません」
「ああ、いい。呼び止めて悪かったな」
乱太郎はぺこりと頭を下げて立ち去っていく。留三郎も特に急ぎではないししんべヱと喜三太の行方をわざわざ捜すまでもないかとそのまま振り返る。
そうして目に入った一年ろ組の生徒達。せっかくなので平太はどこかと尋ねれば、同じように首を傾げた返事が返る。曰く、授業が終わってすぐにどこかへ走って言ったと。
日陰で幽霊ごっこをする二人にも礼を言い、どうも間が悪かったらしいと苦笑してしまった。
そこへ自分に向かって真っ直ぐ突っ込んでくる人影。危うくぶつかりそうになったが上手く避けるとそれは三年生の制服だった。

「おい、神崎、どこに行く気だ?」
「あ、先輩。これから委員会なんです!では失礼しますっ!」
元気良く言い放ちまた進もうとした左門の首根っこを慌てて掴んだ。
「こらこらこら!!会計委員会の部屋はそっちじゃない!!あーもう、こっちだ」
流石に目の前での迷子予備軍を放っておくわけにも行かず、左門を会計委員会の部屋まで連れて行ってやる。
勿論そこで会計委員長と売り言葉に買い言葉のひと悶着があったのは、些細な日常風景の一コマであった。
擦 り傷と青あざを増やして、とりあえず戻ろうとすれば体育委員会がマラソンをしている姿が目に入る。正直を言えば塹壕掘りやバレーボールをされるより被害が 少ないのでマラソンをしているのはありがたい。尤もマラソンだけで済む事は殆どないのだが。そんな事を考えていると少し顔が険しくなるが、あるものを見つ けると大声で叫んだ。
「おーい!平!!次屋がはぐれかけてる!気をつけろ」
どうして目の前の背中を追っているのにはぐれるのだろうと疑問なのだが、ともかく無自覚迷子がまたも道を逸れようとしているのも見過ごせはしない。
留三郎の声に気がついた滝夜叉丸が慌てて三之助を捕獲し、遠くから頭を下げたのがわかった。
まったく毎度毎度騒がしい学園だなあと、その騒がしさの一端を担っている事は棚上げする留三郎である。
この際だから作兵衛も探してみようかと思ったのだが、こちらは一年生達とは逆に探すまでもなく見つけることができた。
真っ直ぐに前を見て走る姿。中々いい走りだなと感心しているうちに、作兵衛はこちらには気がつかず通り過ぎていく。
「作兵衛!」
慌てて声をかければ、傍目にも分かるほど大慌ての作兵衛はその場で足踏みをしていた。
「せせせせせんぱいっ!!あ、あの!俺!急いでて…えーっと、あの、その!そう!!また三之助と左門が迷子になってて…」
「次屋と神崎なら、委員会にいるぞ」
「ええええええーっと、数馬が!そう!数馬が作法委員会の掘った落とし穴に落ちちゃったんです!!ちょっと助けに行くんで、あの!すいません!!しし失礼しますぅううー!!!」
留三郎がそれ以上口を挟む暇もなく、作兵衛は物凄い勢いで走り去ってしまう。
「あ、ちょっ、おい、作兵・・・」
後にはぽかんとその後姿を見つめるしかない留三郎が残された。
「な、何なんだ一体…」
きっと何か用事でもあったのだろう。誰にも言いたくない用事…だなんてあの年頃には誰しも覚えのあることだ。
そう思いながらうんうんと頷く留三郎の視界の隅には、同級生と並んで歩く数馬の姿が見えていた。
何だかんだと今日は間の悪い事だと、改めて留三郎は戻ることにする。そろそろ洗った制服も乾いている事だろう。
戻りながらつい地面に穴はあいていないか、壁は崩れていないかと目を走らせてしまうのはもう癖の様なものだ。
そんな事をしていると、向こうから小松田が戻ってくるのが見えた。
「あ、食満くーん。この間はありがとー。ごめんねー棚ひっくりかえしちゃってー」
それは数日前の事だった。ああ、あのときの惨状はすさまじかったなあと遠い目をしながらも、これもよくあることだった。
「いえ。別にいいですよ。ところで誰か来ていたんですか?」
小松田の手の中にある出門表を見て、何気なく問う。
「うん。カメちゃんがね。今帰ったとこー」
「カメちゃん?」
「あ、しんべヱ君の妹さんだよ。おうちの手伝いしてて、すーっごくしっかりした子なんだよー」
ああそう言えばしんべヱからそんな話を聞いたことがあるなと思い出した。と言うことはさっき見かけなかったしんべヱは妹と会っていたのだろう。喜三太も一緒だったらしいがまあ子ども同士何か用事があったのかもしれない。
しんべヱとその妹、それから喜三太が和気藹々としているところを想像するととても和む。
暫く小松田と世間話をして別れた後にすっかり乾いた制服を回収する。そのまま一旦長屋に戻って後は自主鍛錬などをして、留三郎の一日は終わったのであっ。
 

「どーしたの、留さん。変な顔して・・・」
「…いや、別に…」
「別にって感じじゃないけどねあからさまに」
数日後、部屋の中でどんよりと沈む留三郎に同室の伊作が声をかけていた。
何しろ顔に『悩んでいます』と書かれているような表情で座り込んでいれば、よほどの鬼でない限り気には留めるだろう。ましてや常日頃世話になっている友人だ。
「確かに、些細といえば些細なんだ。俺が気にしすぎなだけなんだろうし…」
「誰かにとっては些細でも、他の誰かにとっては大問題なんてことは良くあるけどね?」
「…伊作ー。お前やっぱり保健委員だなあ」
「はいはい、いーから話してごらん」
普段は颯爽と不運の只中にいる自分を助けに来てくれるくせに、こんなときにはとことん気弱になっている留三郎をほんの少しだけ可愛い奴だなあと思っているのは顔には出さない。ただ、少しでも助けになれたらと思うのは本心だ。
「実は…あいつらの様子が、おかしいんだ」
「あいつらって君んとこの後輩たち?」
こくんと頷く留三郎に、伊作は、はて?と首をかしげる。
用具委員会といえば留三郎の後輩への甘さは語り草に成る程で、問題があるとは思えない。少々三年生が緊張しすぎのきらいはあるのだが、それも年齢ゆえの堅さであると、端から見ればほほえましい限りだ。
「おかしいってどんな風に?」
伊作からはとても思い当たる事はなく、実際に留三郎から見てどのようにおかしいのかを聞く以外にはない。
日頃つりあがった眉は見事な八の字を描き、文次郎とぶつかっている喧嘩っ早い留三郎の見る影もない表情で、堰を切ったように語りだすその内容は、確かに伊作も首を捻ってしまうほど疑問を生じるものであった。
先 日の一件から一日を置いた委員会の日。集合してみれば喜三太としんべヱの姿はなかった。吉野は承知しているようだったので、また補修かなと思ってはいたの だが火薬倉庫に向かう土井や、厚木と相談をしている山田の姿を見かけ、補修ではない事は確認した。勿論お使いなど他の用事もあるだろうし、顧問が確認ずみ であると言う事で特に気にはとめなかったのだった。
更に次の委員会には、喜三太は来たが今度は作兵衛の姿が見えなかった。迷子探しで欠席する事はたまにあったが、この日は左門も三之助もちゃんと委員会に出ていた日である。
次には平太と作兵衛がというように、順繰りに誰かが欠席をしているのだという。
おかげでここしばらく全員集合した委員会はないのだ。
おかしなことに、吉野も度重なるそれに何も言わず、むしろ人数が足りない事を慮ってかあまり急な仕事は言いつけてこなくなっているのだ。
いつもやっている自主的な点検も、やんわりと断られてしまっている。
「俺、嫌われてるのかなー。もういらねーとか思われてるのかも…」
「いやいやいやいや、どーしてそうなる。それはないから安心しろ。まあ確かにおかしいね。吉野先生も一枚噛んでるって事かなあ?」
「やっぱり俺は…」
「ちょーっと待って待って!んもー、悲観しない!!」
慌てた伊作は、頭を大回転させて答えを探す。留三郎本人が思い悩んでいる事など絶対にありはしないのだ。きっと何か事情があるのだろうと分かってはいるのだが、中々内部の事情は図りえない。
「それって、この間君が早く上がらせてもらった後からなんだよね?」
「ああ…。やっぱりあの時俺がつきとばしちまったからかな。怖がられたのかも…」
また新たな証言に伊作の耳がぴくりと反応をした。
「ちょっと待て。何それ?一体何があったわけ?」
あの日は詳しく聞かなかったがどうやらそのあたりに答えの手がかりがありそうだと、伊作は詳しい説明を求め、留三郎はそれに気おされたのかポツリポツリとあの日の事を語りだしたのだった。
 
「…あー成る程ね」
どっと疲れが増した気がして伊作は呟いた。目の前ではまだ留三郎はもっとちゃんと避ければよかったとか、何も考えずに力任せに押してしまったとか、頭を抱えて後悔をしている。
そんな留三郎の頭巾の下には、あの日に直していたいびつな元結が結わかれているだろう。
あの晩の事と今の話をつなげて、事態を把握した伊作は苦笑しか出てこない。
この後輩馬鹿め、と言いたい気持ちをぐっと抑えて、さてどうやって宥めてやろうかと算段をする。
どう転んだって留三郎が嘆いているような事態にはなりえないのだなんて事は伊作にだって分かる。
まあ、実際の所しんべヱたちが一体何を企んでいるのかは分からないが、きっとすぐに留三郎は笑顔になるに違いない。
とりあえず、それまで勝手に落ち込んでいる後輩馬鹿を少しでも宥めることが自分の役目かな、と思う伊作であった。


ふぅ、とため息を一つ吐いて足取りも重く留三郎は用具倉庫へと向かう。
あれから伊作には悩みを一蹴されて、なんとかどん底まで落ち込む事はなかったが、それでもやはり気が重い。
今日も全員揃わなかったら、下手をしたら自分以外誰もいなかったらどうしようなどという疑心暗鬼にすら駆られてしまっている。
それでも責務は果たさねばと、気を引き締めて委員会へと向かえば。そこには久方ぶりに揃った後輩達と顧問の姿。
皆一様にニコニコと笑って、とても嬉しそうにしていた。
思わず足を止めてその光景を呆然と見ていたら、喜三太がこちらに向かって大きく手を振ってきた。
「あ、せんぱーい!!何してるんですかー!早く来てくださいよぅ」
「早く早くー!!とーっても良い事が…むぐぐっ」
「あ、しんべヱ駄目ー!!」
「そうだぞ、しんべヱ、まだしゃべっちゃ駄目だろ!」
平太が慌てたようにしんべヱの口を押さえて更にその上から作兵衛の手もかぶさっていた。当人達は小声のつもりなのだろうが、その全ては留三郎まで筒抜けで、彼らの後ろでは吉野が乾いた笑いを浮かべていた。

「さ、さて今日皆さんに集まってもらったのはですね。食満君」
「は、はい!」
「皆があなたに見せたい物があるそうなんです」
イマイチ状況がつかめずに、ぽかんとした表情のままでいたら、両の手をそれぞれ小さな手に引っ張られた。
「せんぱいっ、ぜひ見てくださいー僕達がんばったんですよ」
「作兵衛先輩がお手本見せてくれたんですー」
「僕達これからもお手伝い、できますか?」
勢い込んで報告をするしんべヱと喜三太。二人に比べれば控えめとは言え、普段に比べると随分と積極的な平太。
三人に、両手を引かれ、後ろから押されて、留三郎の足は用具倉庫へと向かう。
ここのところ留三郎がしていた仕事は、壁の補修や塹壕・落とし穴埋めなどで手一杯。いつもなら時間外に自主的に行っていた用具の手入れもしていなかったから、細々とした作業が溜まっているはずであった。
しかし、倉庫の中で留三郎が見たものは。
ぴかぴかに文句なく磨き上げられた手裏剣と苦無。それ以外の細々とした用具も理路整然と整えられている。改めて数えなおさなくてもきちんと数がそろっている事は一目瞭然であった。
「え?これって」
目を見開いている留三郎に、しんべヱと喜三太が得意そうに鼻を高くする。
「えへへへ、どうですか?僕達が磨いた手裏剣ー!合格しましたか?」
「作兵衛先輩がとっても丁寧に教えてくれたんです。作兵衛先輩も、前に留三郎先輩に教わったからって」
「留三郎先輩に合格もらえたら、僕達これからちゃんと先輩たちのお手伝いできますよね?」
立て続けに言われた一年生達の言葉が、耳から頭に到達してその意味を悟るのにしばらく時間を要してしまった。
「これ…」
やっと状況を把握して後ろを振り返れば、作兵衛が照れくさそうな得意そうな顔で立っている。
「いつまでも先輩にばっかり負担かけられませんから!俺だって先輩のおかげでちゃんと仕事、こいつらに教えられるようになったんですよ」
更にその横で吉野がくすくすと笑いながら言う。
「おやおや食満君。まだ分かってないようですね。この子達は皆、君のために今まで一生懸命がんばっていたんですよ。君に少しでも休んでもらおうって。さあ、ちゃんと彼らの仕事振りを見てやっておあげなさい」
そこまで言われてやっと後輩たちの意図を察して、留三郎は満面の笑みを浮かべた。それは正に先日伊作が予想したとおりの笑顔であった。
がばりと両腕の中に後輩たちを抱えたくなるのを必死で抑えて、留三郎は彼らの仕事の結果を確認をする。それはまったく文句のつけようも無い仕事振りで、それを確認すると同時にやはりこらえきれずに足元の一年生三人をまとめて抱え込んだ。
きゃ あきゃあと笑い声をもらす三人の頭をぐりぐりと撫でてやりながら、その笑みは三年生の方へ。生憎手がふさがってしまったが作兵衛にとってはその表情だけで 充分な評価と報酬であった。尤も留三郎にとってはそうもいかず、思い切り手を伸ばし彼が逃げる隙を与えずに一緒に抱き込んだのは言うまでも無い。
そんな生徒達の様子をしばらくはにこやかに眺めていた吉野であったが、下手をすればこのまま一晩中頭を撫でているんじゃないだろうかなどと、ありえないけれどももしかすると本当にやりかねない危惧を抱き、こほんと咳払いを一つ。
「さあさあ、皆さん。もう一つ食満君に見せたい物があるのでしょう?」
「あ!そーです!」
「うわあ、忘れてたー。せんぱーい、ちょっとだけ手放してくださあい」
ころころと笑っていたのから一変、彼らにとって酷く真面目な顔をして向き直るので留三郎もしぶしぶと手を放す。
開放されると、しんべヱが懐から大事そうに包み紙を取り出した。
「はい、これ。僕達から先輩に贈り物です」
突然のことにまたも思考停止してしまった留三郎の手に、しんべヱはぎゅっとその包み紙を押しつけた。
一 体何事なんだろうか、本当にいいんだろうか、こんなに幸せで良いんだろうか?もしかして俺死ぬんじゃねえ?いや、もしかしたらこれタダのいたずらだったり して、もし餞別で委員会やめろとかだったら泣いていいかな、とかもう自分でも何を考えているのかも分からないくらい頭が一杯で、しばらく固まっていたら、 じれたような声が聞こえてくる。
「せんぱーい、早くあけてみてくださいよう」
「皆で作ったんです」
「これも作兵衛先輩に教えてもらいましたあ」
「あ!いや!糸はしんべヱが用意してくれたんです!さすが福富屋ですよ!さあ開けてください」
皆に促されて、漸く包み紙を開けてみるが、なんだか指が震えて上手くいかない。
それでもなんとか広げるとそこに丁寧にたたまれていたのは、一見して分かるほど上質の糸を使って編み上げられた艶やかな結い紐であった。
「これ…」
一端を持って摘み上げればするりとしなやかに解ける。
決して派手な色ではないのにその艶は確かな存在感を放っていた。
「えへへへ。これ僕達が順番に編んだんですよお」
足元にまとわり着いて満面の笑みで見上げる喜三太。
「…作兵衛先輩に教わったんですー」
もう片方の足には平太がくっついてはにかんで笑う。
作兵衛は顔を真っ赤にしながら、手をぶんぶんと横に振っていた。
「いえ!あの!!この間先輩の元結が切れた時に…切れた奴をもう一度直して使うって言われてたんで…。あんな事になったのは自分達の所為ですし…どうせなら皆から贈ろうって…」
「そー!作兵衛先輩の提案なんですよー。そんで、僕がパパに手紙書いたんですー」
しどろもどろの作兵衛と、にこにこと屈託なく笑うしんべヱ。
つまりは、作兵衛の提案で留三郎に切れた元結の代わりを贈る事にして、しんべヱが材料を手配。そして、皆で協力をして紐を編んだということらしい。
「お前達…」
そうか、しんベエの連絡で妹がお使いにきていたのか、と留三郎は頭の片隅でぼんやりと納得をする。
それから、きっと作兵衛が中心となりながら順番に時間を縫って編みこんで行ったのだろう。更にその合間には手裏剣磨きをも頑張って。
きっと気がつかれないように懸命になっていたに違いない。それを自分はどう捕らえていたのかと留三郎は情けなくなってしまう。
勘違いで落ち込んで、後輩達をもっと信用すれば良かったのに。
丁寧に指先でなぞれば、すべすべとした手触りに時折不ぞろいな網目に引っかかる。
それがまた、嬉しくて。同時に申し訳なくて。
「…俺、本当にこれ貰っていいのか?」
思わず呟いた言葉に、一斉に不安そうな瞳が注がれた。
「え?貰ってくれないんですか?」
「やっぱり僕達、下手っぴいですか?」
「駄目ですか?」
「あ、あの…余計な事だったでしょうか?」
そんな言葉達を慌てて首を横に振って否定した。
「そうじゃなくて…こんな高価なもの…」
どう説明をしたらいいのか分からなくて、言い淀んでいたら、うえからくすくすと笑う声が降ってきた。
それは勿論顧問のもので。
「まあまあ。君がちょっと誤解していたことは分かりますけどね。もっと自信を持ちなさい。それはこの子達からの食満君への評価なんですから」
日頃の感謝とか、純粋に慕う気持ちとか、そんな彼らの思いが込められた結い紐を改めて、ぎゅっと握り締める。
ま、まずい。そう思っても目元がじわりと熱くなるのを止められない。
作兵衛は慌てたように目を逸らし、吉野もそっと明後日の方を向いて見ない振り。
まだそんな気遣いが足りない一年生達はじっと真っ直ぐに留三郎を見る。
ちょっと照れくさいとは思ったのだが、そんな余計な感情を吹き飛ばすほど素直な笑顔が帰って来た。
にっこりと笑って。
「良かったあ。喜んでもらえましたね」
「ねー」
「…嬉しいですー」
そんな風に言われてしまえば。こちらも素直にならなければ申し訳が無い。
「ああ、ありがとう」
そう言って笑った留三郎の顔は、にじんだ涙の所為かいつも以上に柔らかい。
しゃがみ込んで、再びがばりと三人を抱き込んで、くしゃくしゃの笑顔でぎゅうぎゅうと腕に力を込めた。
それから改めてもう一度貰った元結いをしげしげと眺める。
しんべヱが調達したという糸は、もの凄く高級なのだろう。普段使いにするのにはいささか勿体ないような気さえする。尤も値段にかかわらず、後輩達が作ってくれたというだけで留三郎にとっての最高級品には違いないのだが。
「実はですねー、食満君」
そんな留三郎の心情を見透かした訳でもないだろうが、吉野からの声がかかる。
「もう一つあるんです」
「え?」
これ以上何があるというんだろうと本気で驚いた顔を見せると、吉野の隣の作兵衛が少し照れたように笑った。
「福富屋さんの糸は確かにすばらしいのですが、いささか目立つような気もしましてね。まあ折角皆さんが作っているのに野暮な事は言うまいと思っていましたら。富松君が察してくれまして。こちらは私と富松君の合作ですよ」
そう目の前に差し出されたのは、もっと素朴な。今まで留三郎が使っていた物とほぼ同じ物。
確かに先ほど贈られた方は派手では無い物の目を引く程に良質の物だ。忍務中、一般の人々にまぎれていても目立つ事この上ないだろう。
作兵衛はその辺も気にかかっていたものの、純粋に好意で最高の物を!と意気込む一年生達の手前提案する事もできずにいたらしい。そこに顧問が同じような意見を持っている事に気がついて、もう一つ贈る事を提案したらしい。
「じゃ、作兵衛は二つ作ってくれたのか?」
一方ではしんべヱ達に作り方を教えながら、自分も作成し、その合間にもう一つも作っていただなんて。
「いええええええ!!俺は、こっちは……あのっ、先生も手伝ってくれてて……。さすが吉野先生は俺なんかよりずっとずっと仕事も早くて綺麗で‥‥むしろ俺が手を出さない方が‥」
焦っている作兵衛の声が聞こえるが、留三郎にとってはもうどこからどう感激していいのか解らない状態だ。
そもそも、自分の負担を軽くしてくれようと、内緒で仕事を覚えてこなしていた事だけでも感涙ものなのに、更には贈り物、そして、細かい気遣いを上乗せしたもう一つ。しかもこれに吉野まで噛んでいるなどと。
「先生。皆、なんだかもう、どうお礼言ったらいいのか解りません……」
「おやー?おかしいですねえ。これは我々からの君への感謝の気持ちですよ?お礼をしてるのはこちらなんです。お礼にお礼を返していたらいつまでも終わらないじゃないですか」
そんな吉野の大人の返答に、作兵衛は尊敬のまなざしを送り、一年生達は若干目が左右に離れている。
「う〜こんがらがってきた〜〜」
「でもー、つまりはぁ。先輩も嬉しい、僕たちも嬉しい、って事でしょ?」
「みんなうれしくて、めでたしめでたしってこと?」
彼らなりの解釈は、決して間違ってはいない。
「その通りですね。山村君、下坂部君、大正解です」
「わあい、やったあ」
「では、そう言う事で」
だから、それ以上の礼は無用ですとにっこりと笑って、吉野は留三郎の手のひらに、二つ目の元結を置く。
「そうですね、こちらは学園内にいる時の普段使いに、それからこっちは外出につかったらいいんじゃないですか?」
そう指を差した順番は、しんべヱ達と作った物から、吉野と作兵衛が作った物。
「なんか、それ、普通と逆ですよねー」
普段用に高価な物を、だなんて。そう作兵衛が笑い、一同も笑った。
普通ではない、そんな生活を送る自分たちだけれども。
こんな毎日を過ごせる事を、誰にかは分からないけれども感謝したくなる。
「さ、今日は皆そろって、委員会だぞー!!」
「その前に、その紐つけてくださーい」
「ああ、勿論だ」
しんべヱからの催促に、手早く髪へと巻いて行くのは勿論しんべヱ、喜三太、平太、作兵衛が協力して作った元結で。もう一方は丁寧に丁寧に懐へとしまわれた。
その姿にしんべヱ達は声を出して喜んでいる。
「ねえ、これこの間の竜宮の乙姫様より綺麗だよねー」
「りゅうぐうのおとひめのもとゆいのきりはずし、な。それじゃ先輩が乙姫様みたいに聞こえるぞ」
作兵衛の突っ込みに皆で笑って。先日初めて名前を聞いた海草の姿を思い出す。
「乙姫様だって、こんな凄い物は着けられんさ。俺は果報者だよ」
留三郎の言葉に、この人はやっぱり後輩を喜ばせる天才なんじゃないかと思ったが、一応口には出さないで心の内にとどめておく。
きっと、これからだって、たっぷりと喜ばせてくれるだろうから。
 
「作兵衛。今日、あの壁を修理しようと思うんだけど」
「あー、あそこってちょっと複雑な作りしてましたよね」
「うん。それでな。作兵衛に修理の仕方教えるから、良く見とけよ。作兵衛ならきっともうできるさ!期待してるからなー」
 
ほら。こんな風に。
 
 
 
 

またまた大変お待たせしてしまいました。
しがな様リクエスト「用具委員で、後輩達のサプライズに思わずジワッと涙しちゃう留さん」でした。
サプライズというかなんというか、他の人にはバレバレという感じでしたが。
ついでに、後輩達だけではなく吉野先生にも加わって頂き用具委員会全員でほのぼのさせてみました。

どんだけお待たせする気だという感じでしたが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
リクエストありがとうございました。

※竜宮乙姫元結切外はアマモの別名です(笑)