八月十五日

 

 

 

昼間はまだまだ暑さを残すが、朝晩には幾分秋の気配が感じられるようになってきた。
三月ほど前よりも大分暗くなるのが早くなり、昼の長さと夜の長さはもう殆ど変わらない。そんな季節の移ろいを敏感に感じ取る事も忍としての勤め…、などと大義名分を振りかざし要するにお祭り好きの性質で四季折々の騒動が巻き起こるこの忍術学園であった。

 

僅かに昼の明るさを残した夕空を背景に、学園の隅にある用具倉庫の鍵を用具委員長の食満留三郎がきっちりと閉めていた。
それをやや離れたところから見つめて大人しく待っているのは委員会の後輩達である。
食満はくるりと後ろを振り向いて後輩達に労いの言葉をかけた。

「皆、お疲れさん。悪かったな急に呼び出しちゃって」
「いえ。でも早く済んで良かったですね。もー俺あの惨状見た時は一生かかっても終わらねーんじゃないかと思っちまいましたよ」
「一生って、お前なー」

随分と大げさな例えをする富松作兵衛に、食満は笑う。

「でもーさいしょはほんとすごかったよねー」
「ねー、小松田さんてばどうやったらあんなふうにできるのかなー」
「うん。驚いたよ」
「ねー」「ねー」「ねー」
「まあ、お前らが手伝ってくれたおかげで一生かからず何とか終わったしな。ありがとな」

顔を見合わせ頷き合っている一年の頭を、少しだけ作兵衛をからかいつつ、交互に撫でてやる。
きゃあきゃあと喜ぶ一年生達と、からかわれて唇を尖らせる作兵衛を食満は満足そうに見て更に笑みを深めるのだった。

「…なんか、むこう騒がしいなあ…」

最後に作兵衛の頭をぐしゃりと一年生よりは少々豪快にかき回した所で、学園中心部辺りの喧騒に気が付く。

「本当だ、なんでしょーね」
「うーんおいしいものでもあるのかなー」
「なめくじさん大量発生とかー」
「喜三太ーそれ別の騒ぎになってると思うよ…」

好き勝手な事を言い合う後輩を微笑ましく見守りつつも、この学園で喧騒などあまり珍しい事でもないよなと思う。
ちらりとは組の二人を見ながら、一年は組の誰かか、学園長か、情けない話だが同学年の誰か辺りが騒ぎを起こしている可能性が高いなと予想を立てた。

「あ、きり丸〜」

丁度そこへしんべヱと仲の良いきり丸が通りがかり、しんべヱが声をかけたのだが、本人は一応立ち止まりはしたものの、何か急いでいるかのようにその場で足を踏み鳴らしていた。

「なんだよ、しんべヱ。俺急ぐんだけど」
「あのね、何かあったの?なんかみんな向こうでわいわいしてるけどー」
「あれ?知らなかったのか?さっき学園長がまた突然思いつきで、月を見るぞーって言い出したんだよ。じゃー、俺月見弁当売らなきゃいけないから、またなー!」

あっという間に砂煙を立てて消えていった級友をしんべヱがぽかんと見送った。周りで見ていた用具委員会の面々も同じような面持ちである。
暫く倉庫にこもっているうちに一体何が起こったというのか。
とりあえず、己の予想の一つが当たってしまった食満は小さくため息をついた。

「月ー?」

作兵衛が空を仰げば、まだその月は姿を見せては居ない。

「えーと、今日はあともう少しで昇ってくるだろ。まあ学園長の思いつきにしては風流な事だな」
「わあーい。お月見お月見ー、先輩、一緒に見ましょうよー」

無邪気に喜んでいる喜三太としんべヱが食満の両手を持って引っ張りまわす。それを受け止めていたら、平太も遠慮がちに袖を引っ張ってきた。

「ま、こういうのもたまにはいいもんだな」
「わあーじゃあ早くあっち行きましょうー。向こうの方が広いですー」
「待て待て、まだ仕事終わってないだろ。急がなくても月が昇るまであと少しあるから」

委員長の一声で、残る仕事を片付けるために一年生が駆け出していく。それを監督しようと三年生が後を追うのをにこりと笑って見送ったところで、またそこを通りがかった一団に出くわした。
どうやら用具委員会と同じく委員会活動をしていたらしい、作法委員の面々だった。

「よお、仙蔵。お前達も月見か?学園長の思いつきらしいが、一体どうしたんだ?」

何か事情を知らないかと、尋ねてみれば仙蔵がふっと笑う。

「まあ、いつもの事だ。脈絡などはない。最近夕方はめっきり涼しくなったからな。夏は暑い暑いとだらけていた学園長が、この涼しさを幸いに散歩に出かけようと思ったらたまたま昨夜の月が綺麗だったのだそうだ。ただそれだけのことだ」
「…なんとまあ。ま、やっかい事じゃないだけマシか」
「そうだな。あの学園長しては風流な思い付きだ」

先ほどの食満と同じ感想を述べた仙蔵に、食満も頷く。

「ああでも、文次郎や小平太辺りは文句いいそうじゃね?鍛錬ができないとか言って」
「最初はごねてたらしいが、あまりにも月明かりがまぶしくて、影が落ちて術の練習はできないからとしぶしぶ承諾したらしい」

それはあいつららしいと肩をすくめて笑ったところで仙蔵は、顔を引きつらせ「それではな」とだけ言い残し後輩達を引き連れてその場を後にしてしまった。
何だ一体と思ったが、そのすぐ後に聞こえてきた己の後輩達の声にすぐに納得をする。

「けませんぱーい。ぜんぶおわりましたー」
「とまつせんぱいからちゃんとたいこばんもらいましたー」
「…早くいきましょう」
「ちゃんと見ました!」
「おう、ご苦労さん」

すこし緊張した面持ちで報告する作兵衛を労ってから、すぐにでも走り出そうとする一年生達を押しとどめる。

「待て待て」
「ええ〜、早く行かないと皆もうあっちに行ってますよー」

首根っこを押さえられてじたばたする喜三太をなだめ、目を見開いて見上げてくるしんべヱと平太の視線を受け止めて、食満はにっこりと笑った。

「月見はここでするぞ」
「ええええー?」

一年生三人と、作兵衛の声がそろって夕闇の空に溶けていく。

「先輩?だって、ここ…」

ぐるりと作兵衛は首を回して周囲を見回す。学園の隅にあたるこの場所は用具倉庫だけではなく、さまざまな倉庫ややぐらが立ち並び、更に塀の向こうには大きな木まである。要するに見晴らしはすこぶる悪いのだ。

「月、もう出ますよね?なんでここで見るんですか?」
「せんぱいー向こうのほうが良くみえますよー」
「…どうしてもここでみるんですか?」
「皆も向こうにいるのにー」

口々に出る抗議にも、にっこりと笑ったまま食満は頷く。

「ああ、ここで見るぞ」

そういわれてしまえば、もうそれ以上何も文句は言えなくて、四人はしょんぼりと食満の周囲に集まった。

「ほら、もう月が昇ってくるぞ。見事だなあ。たまには学園長先生もいいことを思いつくじゃないか」

櫓や木々の隙間から見事な月が顔を出す。確かにそれはとても綺麗で見ほれるほどのものだったけれども。
向こうの広場に行けばもっと良く見えたんじゃないかと、四人は少しだけ浮かない顔で空を見上げていた。
何故、こんな隅っこで隙間から掻い潜る様にこんな綺麗な月を見なくてはならないのだろうと、こっそりと先輩を恨めしくさえ思ってしまう。
そんな四人の心情を察したのか、食満は苦笑いをしながら、四人にこう告げたのだった。

「お前達、そんなに向こうで見たければ、行ってもいいぞ」
「え?本当ですか?」
「わーい。じゃ、行きましょう」
「いや、俺はここで見るから、お前達だけで行ってくればいい」
「え?なんでですか?」

喜んだのもつかの間、あっという間に情けない顔になった後輩達の背中を食満は笑顔で押した。

「うん、俺はここで見るからさ。お前達が向こうで見たいなら見てくればいい。ほら、言って来い」

どうして一緒に行ってくれないのかと、怪訝な顔をしながらもきれいな月を見たいとしぶしぶ足を進めた四人は食満を振り返り振り返りしてのろのろと歩き出す。何度振り返っても食満はそこから動かず、ただ自分たちの方を見てかすかに笑っていたのだった。
 
 
「ねえ、なんで先輩は一緒に来なかったのかな」
「それよりなんで最初にあんなところでしか見ようとしなかったのかなあ」

しんべヱと喜三太を筆頭に四人はあれこれと言い合いながら歩を進めていた。

「あ、もしかして。いっつもけんかばかりしてる潮江先輩があっちにいるから行きたくなかったとか」
「それならなんで最初僕たちも行っちゃだめだったの?」

しんべヱと喜三太の後ろで、作兵衛は、

(もしかして立花先輩に、この二人を近づけるなと言われたとか…)

そうも思ったのだが、とりあえず口に出しはしなかった。だいたい今向かっているのだからそれはなさそうだ。
そのとき、平太が小さな声でつぶやいたのだ。

「…もしかして、先輩僕たちに怒ってるのかな…。さっきの片付けちゃんとできてなかったからそのお仕置きとか……」

その言葉に、全員がさっと顔色をなくす。

「えええ?そうなのかな。なのに僕たちが向こう行きたいって行ったから先輩怒って一緒に来てくれなかったのかも」
「おおおおお俺がちゃんとお前ら指導できなかったの怒ってるのかもおおおお〜〜〜〜」
「僕たち先輩に嫌われちゃったのかなあ」
「……謝らなくちゃ…」

四人が青くなったり白くなったりしている内に、いつしか学園中のみんなが集まる開けた場所へとたどり着いていた。そこでは皆思い思いに月見を楽しんでおり、その場は盛り上がっていた。美しい月が辺りを照らしていたが、もはや四人はそんなものは目に入らない。

「戻ろう!」

そう言い合った瞬間、方々から声がかかる。それはそれぞれの級友達のものであった。

「あ、しんべヱ、喜三太。今終わったの?お疲れ〜、ほら月きれいだよー」
「平太…日陰ぼっこと同じくらいたのしいよ、月光浴」
「お、作兵衛遅かったじゃん。迷ったのか?」

声をかけられても、それどころじゃないとかお前が言うなとか返そうとしたのだが、その拍子に空に浮かぶ月が視界に入る。

「あ、れ?」

けれどその月はどこかがおかしい気がした。

「しんべヱ‥僕の目、悪くなったのかな?」
「僕の目も変かも‥」
「僕も‥」
「みんなもか?じゃあ……」
「「「「あの月さっきより小さいよね?」」」」

そう言い合って、互いに顔を見合わせた。

「え?なんで?どういう事??」

何度も何度も月とお互いの顔を往復する四人に、級友達も首を傾げて取り込み中なのかとそれぞれに離れていってしまった。

「お前達どうしたんだ、こんなところで」
「あ、土井せんせー」

そこに通りかかったのはしんべヱや喜三太の担任の一人である教師である。一年は組の生徒達が全幅の信頼を置くこの教師に、しんべヱと喜三太は己の疑問を素直にぶつけるのであった。

「あのねー、さっき僕たち用具倉庫のところで月を見てたんですけど、今ここで見たら、こっちの月の方がちっちゃい気がしたの」
「月の大きさはかわらないですよねー?どういう事ですか?」

拙い言葉で一生懸命に状況を説明する二人から根気よく話を聞いて、土井はしばらくするとにこりと笑った。

「ああ、そういうことか。あのな」

いつもの授業のように指を立てて説明を始める。授業以上に熱心にしんべヱと喜三太は聞き入り、その後ろで平太と作兵衛も耳を傾けていた。

「用具倉庫の辺りで見てたって言ったな。あそこにはほかに櫓や塀の外に背の高い木があるだろう?見晴らしのいい場所で空にぽっかり浮かんだ月よりも、そうやっていろんな景色の中に見える月の方が大きく見えるんだ。これは目の錯覚だ。周りに比べるものがなくて広い空に浮かぶ月よりも、横に比べるものがあったほうが大きさがはっきり分かるからな」
「なんだか良くわからないけど、とにかくさっきの方が大きく見えるって事ですかー?」
「ま、そういう事がよく起こるって事だ」

そう説明を終えると土井はまた喧噪の中へと混ざって行った。残された四人は今の説明をもう一度よく考える。

「じゃあ……食満先輩はそれを知ってて」
「あそこの方が大きく見える月を僕たちに見せようとしてくれて」
「でも、分かんなかった僕たちに、こっちと比べさせるためにここに来させたって事かな?」
「……せんぱいはあの場所でぼくたちが戻るの待っててくれてるのかな」

「「「「きっとそうだ!」」」」

その結論に達した瞬間、誰が号令をかけるでもなく一斉に走り出した。
来る時ののろのろとした足運びなど比べ物にならない程早く。走るのが苦手なしんべヱも一生懸命に、そして途中からは作兵衛が手を引いて。
そうして、あっという間に用具倉庫へと駆け戻る。
そこには。

「よっ!おかえり」

辺りをすっかりと月見用に整えて、風呂敷に包んだまんじゅうまで用意した食満がさっきと同じ笑顔で立っていたのだった。

「せんぱーい!」
「ここって、特等席なんですねー!」
「なんで最初に教えてくださらねーんですかー!!」
「‥怒ってなくてよかったです」

怒る?何の事だ?と首を傾げた後に、作兵衛の問いに、経験した方が理解しやすいだろ、といたずらめいた笑みを浮かべた。
一年ぼーずと同じ扱いかと、少し悔しい作兵衛ではあったが、確かに授業で出て来ても絶対に忘れない自信ができたなと苦笑いをする。

「ほら、まんじゅうあるぞ」
「わあい」

少し遅れて始まった用具委員会だけのお月見は。
みんなで一カ所に集まって、木々の隙間からのぞく月を眺めて過ごす。
 

 
「ああ、いい月だな」
「ですね」
「「「せんぱい。ありがとうございます」」」
 
 
 
八月十五日の月がゆっくりと空高く昇って行くのであった。
 
 


用具委員会でお月見。
書き上げた後に、改めて最初に思い付いたメモを見てみたら、大分違う話だった…