いざよい 
 
 
さらりとした秋風が宵の空気をかき分ける。
段々と夕闇を濃くして行く空をぼんやりと見上げながら、食満は自室の前の廊下に座り込んでいた。廊下とは言え長屋の事、そこはもう外である。縁側と言って差し支えはない。

「確か予定では、三日前、だったか」

だとすれば、だいたい今日あたりだろう。
先ほど夕食は採ったが、もう一人前用意してもらいそれを傍らに置いて再び座り込む。
そういえば昨夜の月はこの時間くらいに顔を出していたなと思い出し、まあ見事ではあったものの物足りないものを感じた事も思い出した。
それが何かとは既に分かりきっている事ではあるが。
 
さらり、また秋風が吹き抜ける。
かすかに聞こえる衝撃音はまた友人がどこかを破壊した音だろうかと少し頭痛を感じる。
一瞬の静寂の隙をついて聞こえるのは、夏とは趣をかえた虫の音。さわさわと揺れる葉が立てる音。
目を閉じて、一つ一つの音を拾い上げて行けば、いつの間にか半刻程経っていたらしい。
騒がしい足音がしたと瞳を明ければ、そこに見えたのは情けない顔をした級友の見事なまでのぼろぼろの姿。

「留三郎〜〜」

顔と同じくらい情けない声を出して、がっくりと肩を落としている。

「お帰り、伊作」

へたり、と膝をついた善法寺に食満はふわりと笑みを向けた。

「ごめん、間に合わなかった…」

一緒に十五夜を眺めたかったのに。そう言って善法寺はうつむく。
彼が学園長のお使いに出かけたのは数日前の事。お使いと言う名の忍務でも何でもなく、ただその言葉通りのお使い。何事もなければすぐに帰って来られる程度。当然、何事も起こらぬはずもなく。
約束をした晩の翌日になって、ようやく学園に戻ってくる事ができたのだった。

「また、大変だったんだろ?ほら、飯を取っておいてやったぞ。まずは腹ごしらえをしたらいい」

ぼろぼろになりつつも、持ち前の頑丈さでその身に何事も支障がないのを見て取って食満は傍らのお盆を彼に差し出した。
膝をついたままで、ずりずりと体を引きずって近づいて来た善法寺を、しゃんとしろと言ってぺしりとはたく。

「だってさー一生懸命急いだのに…」
「急いだから裏目に出たんじゃないか?今度は間に合わないように頑張ってみろ。もしかしたら間に合ってしまうかも知れん」

冗談半分にそう言えば、真面目な顔で、それ良いかも、今度やってみようなどとぶつぶつと言い出したので、いいから早く食ってしまえと盆をさらに押し付けた。
ようやく握り飯を一つ手に取ったが、一口食べてまたため息を吐き出した。

「ああ、でも今回は間に合わなかったんだ。ごめんね」

嘆き続ける善法寺に、食満はまったくしょうがないなとまるで秋風のような笑みをこぼす。

「月は、昨日だけじゃないだろ?ほら、見ろ。もう今日の月が昇って来たぞ」

あごで示された空をみやれば、丸い丸い太った月が煌煌と辺りを照らしている。

「うん。でも、やっぱり君と一緒に秋のお月見をしたかった。同じ月でも十五夜さんを君と愛でたかったなあ」
「安心しろ伊作。運がいいな」
「え?」

運がいいだなんて言葉をかけられたのは記憶に残る限り覚えがあるだろうか?

「今日の月が望月だ」

だから約束通り共に月を眺めようと、食満は善法寺を振り返る。月に照らされたその顔には月明かりで陰影が落ちその明るさを物語る。

「え?なんで?だって昨日お月見だったのに」

未だ握り飯を持ったままあたふたとしている善法寺を呆れたように見てから、食満は月に向き直った。

「十五夜が望月とは限らんなんて、習っただろ。忍たまの友のいろはだ。今年の中秋がちょうどそれにあたったからな。十六夜の今宵がまさに望月だよ」
「そ、そうなんだ……てっきり…。でも、やっぱり中秋の名月を一緒に過ごしたかったなあ」

ため息を吐いて、ようやく握り飯の二口目を口に含む。

「まだ言うか。俺はどっちかってーと、風習云々よりは、望月にはちゃんと間に合ったお前と一緒に見られて嬉しいと思ったんだがな」

その途端耳に飛び込んで来た食満の言葉に、のどがぐっおかしな音を立ててつまってしまった。
胸をどんどんと叩いて苦しむ善法寺に慌てて食満が水を飲ませる。

「な、何をしてるんだ。握り飯詰まらせるなんて不運すぎるぞ!」

かろうじて窒息を免れたもののまだ言葉は出てこない善法寺は心の中で思い切りわめいた。

― いやいやいやいや、今の不運じゃないから!!むしろどっちかって言うと人生最大の幸運についたささいなおまけみたいなもんだから!!ていうか、留さん今の台詞無自覚?僕を喜ばせてる自覚なし?

まったくもうと思いながらも、残りの握り飯をたいらげると、いそいそと食満の隣へと腰を下ろす。
その時にごくごく自然な仕草で己の場所を空けてくれる事すら嬉しくて仕方がない。
徐々に高度を上げる丸い月を、隣り合って眺めていられるこの幸運。
今自分と肩を並べている人は、自分の不運もあっという間に幸運へと転化してくれている。ほんの数刻前までの絶望的な気分などどこかへ行ってしまったかのようだ。
月に照らされたその顔はとても奇麗だと思うけど、きっと月なんてなくたって、いつだって奇麗だとそう確信をする。
 
「ねえ、留三郎」
「ん?」
「良い月夜だね」
「ああ、そうだな」
「一晩中見ていたいくらいだ」
「……いいんじゃないか」
君がそう言ったから、ならば今宵は二人で十六夜の月を眺めて一晩中隣り合って過ごそうか。
 
 



伊作の話でこんなに「幸運」連呼するとは思わなんだ。