居待月 

 

 

 

さくっさくっ

今日の夕飯も美味しかった。明日の定食はなんだろう。

ざくっざくっ

少し土が固くなってきたな。

がきんっ

あれ?石にあたっちゃった。暗くて手元が良く見えないな。まったくもう。

ざくっざくっ

よしよし、石はあれだけだったみたい。

 

  

 

「おい、小平太」

頭上から降って来た声に小平太はぴょこんと顔を上げる。

「あ、留ちゃーん」

その様はまるで名前を呼ばれた大型犬が反応したかのようで口元は笑ってしまうが、口から出た妙な呼称には眉を寄せてしまって、声をかけた留三郎はなんとも奇妙な顔を浮かべている。

「お前、その呼び方やめろって。大体いつもはそんな呼び方しないだろうが」

「あー、ごめんごめん。でも今のは留が悪い」

「なんでだよ」

「心の準備もなしにいきなり目の前に現れたらつい、口から溢れ出てしまうから」

言われた方の留三郎は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした後に、ふぃっと顔を背けて手にしたスコップでぺしんと小平太の頭を叩く。
大分暗くなってきているというのに、そっぽを向いたその顔が僅かに照れているのははっきりと見えたから叩かれても小平太はにへらっと笑ったままだ。

「ところで、なーに?」

呼ばれたからには何か用事だろうと上を見上げる。製作途中の塹壕の中だから小平太の頭は留三郎の腰辺りの高さしかない。

「あとどの位で掘り終わる?」

「え?これ?んーっと今、半分位」

「そうか」

軽く頷く留三郎の手にあるのは、先ほど小平太の頭を小突いたスコップだ。ああそうか、この穴を埋めに来たのかと思い当たって。完成させる前に埋められるのはちょっとなあと口がへの字になったら。
穴に背を向けた状態ですぐ脇に、どっかりと留三郎は腰を下ろしてしまった。

「留ー?どしたの?」

「どうしたもこうしたも。お前が塹壕掘り終わったらそれを埋めたいから。終わるのを待ってるんだ」

学園中被害が甚大だから、作った端から埋めてやるとは思うけれど。だからと言って完成もさせずに埋めるのは悪いと思ってなと、かの人は笑う。
己の心のうちでも見透かされたかと目をぱちくりとしてから、小平太は豪快に笑い出した。

「あははははっ!ありがとう。じゃあ私は精一杯の塹壕を掘ろうかな」

「…ほどほどにしといてくれ」

中途半端な深さの穴に立つ小平太と地面に座り込んでいる留三郎の頭の位置は同じくらいだ。
二人の姿勢は違うのに、同じ高さに視線があってなんだか不思議な感じがする。
やっぱり穴掘りって面白いなあと思って、完成させるべく苦無を握りなおした。
それから暫く無心に土を削って。暗かった手元が少しだけ明るく照らされる。
あれ?と顔を上げれば、そこには昇ったばかりの赤い月。留三郎は相変わらずこちらに背中を向けて、今は昇ってきた月を見ているようだ。
苦無をぽいっと投げ捨てて、穴の淵に手を掛ける。そのまま出る事はせず、留三郎の隣に肘をついた。
ひょいと留三郎がこちらに視線を落として驚いた顔をする。

「どうした?まだ完成してないだろ?」

「んー。月が出ちゃったら塹壕は却って目立つ」

月明かりに照らされた地面に黒々と穴が開いていたらそれはいい標的だ。それは一理あるが、別に本来の使用目的で塹壕を掘っていたわけでなし、そんなものただの言い訳なのだと分かっているが。

「しばらく、留と一緒に月見てようかなって思って」

「おい…俺はお前の作業が終わるのを待ってるんだぞ」

「うん」

「うんじゃない。月を見ながらお前を待ってる俺と一緒にお前も月見てたら、いつまで経っても堂々巡りじゃないか」

「そっか」

「そっかじゃないっ!」

微妙に通じない会話に声を荒げたところで、小平太の手が留三郎の腰にがっしりと巻きついた。と言うよりは、そのままの体勢で小平太が留三郎にしがみついたというのが正しいか。

「うわっ、小平太、何すっ…」

「じゃー、私がいつまでもこの塹壕完成させなかったら、留はずっとここに居てくれるんだね」

だから、作業は一時中断ー、一緒に月を見てようよ。
作業をやめたと言わない辺りが意外と巧妙だとおかしなところで知恵の回る小平太に感心して、留三郎は腹に回された彼の手をぽんぽんと叩いてやった。あまりぎゅうぎゅうと締め付けられては本気で苦しい。
普通なら考えられない位置にある小平太の頭を見下ろして、まあいいかと重くはないため息を吐く。
本当なら、さっさと小平太の作った塹壕を埋めて。

それから。

二人で、月でも眺めようかと思ったのに。
座って待っているうちに、名前の通り居待ちの月が昇ってきてしまった。
自分は座って、小平太は中途半端な穴の中に立っている、なんて奇妙な光景だけれども。
この位置関係なら、ぎゅうっと抱き付かれてもそれほど恥ずかしくないかもしれないと気が付いた。
ならばしばしの間このおかしな光景を甘受しよう。

 

掘りかけの塹壕、埋める準備だけのスコップ、ちぐはぐな立ち位置、ばらばらな体勢
そして
満月ではないちょっとだけ欠けた月。
どれもこれも、自分達らしい事この上ないではないか。

 

 

月に照らされた留三郎が何を思っているのだか、妙に楽しそうな表情を浮かべている。
彼に抱きつきながらそれを下から見上げるという、珍しい光景も相まってずっと見ていたいと思う。
さっきまで低いところにあって赤みを濃くしていた月はもう大分高くなって、黄色く白く輝いている。
本当は、こんな中途半端に空いた穴など埋めたくて仕方ないんだろうけど、自分の捏ねた屁理屈に付き合って一緒に月を見ていてくれる人。
手にぎゅっと力を入れたらぽんぽんと手の甲を優しく叩かれた。いつもなら恥ずかしがって手を突っ張る位なのに。こんな風にしてくれるなら、この奇妙な体勢は大成功だ。

だけど。

月の光を弾き返すその顔に、
手が届かない事だけがちょっとだけ悔しい。

 

 

「お、おい!引っ張るな、こへい…」

 
巻きついていた手が緩んだかと思えば、すっと伸びてきた手が今度は肩を掴む。
途端ぐっと力をかけられて、バランスを崩しかけた。
何とか持ちこたえようとしたけれども、タダでさえ不利な体勢に小平太の全力で引っ張られて耐えられるのはほんの数秒。
後ろに倒されるような形になって、背中の半分は地面について、上半分と頭は塹壕の淵。

「おい!落ちるだろ…」

文句を言おうと横を向けば、すぐ間近同じ高さに小平太の顔があって驚いた。
否、驚く暇もなく噛み付くように息ごとすべて食らい尽くされる。
ようやく開放されてぎろりと睨んでやったのに、そこにあったのはへらりとした悪気のない笑顔。
もう怒る気も失せて、ゆっくりと身体を起こした。後ろ手をついて空を見上げればそこにはまだまだ明るい月。

「小平太」

それ以上何も言わず、パンパンと隣の地面を叩けば、それまで塹壕から出る事のなかった小平太は犬もかくやと言う勢いで這い出ると留三郎の隣へと座り込む。

「も、いーや。穴掘り中止」

「…埋めるのも明日の朝にすることにしよう」

「じゃ、これから一緒に月見よう」

「ああ」

最初からそのつもりだなんて調子に乗らせるだけだから言わないけれども。
二人で並んで座って月を静かに眺めるなんて。
たまにはこんな夜もあってもいいんじゃないかと、二人そろって思うのだった。
 

 


やりやがったな小平太。
というわけで、小平太は最後しか座ってませんが居待月。