寝待月 
 
 

青い空を赤く染めて行く夕日。
東の空から西の空へと青から茜へ色彩が移り変わる。一瞬の光芒を残し太陽の本体が姿を消した後、空の茜は徐々に消え、青は藍へと姿を変える。藍が一層濃くなり黒へと限りなく近づいた頃、宵の空低く輝くは明星。
 
留三郎は裏裏山の一本の木の枝に立ち、空の色の変化をただ眺めていた。
日が完全に落ちると薄暮のうちに山の中を移動する。
まだ月は出ず、暗さを増す山の中は忍の世界だ。
 

やがてたどり着くのは粗末な掘っ立て小屋。小屋とも呼べぬ演習の際に使う資材置き場のようなもの。
三方は粗末な壁があるが、一方はむき出しのまま。雨露しのぐためだけのものだった。
暫く演習も無かったのか中には何も置かれてはおらず、随分前から放置されているらしい黒ずんだ筵が奥の方で丸まっている。
留三郎はそこへ入り込むと、入り口の端の壁にもたれて座り外を眺めた。黒はより濃くなりあたりはすっかりと闇に包まれる。
上方を見れば木々の遥か上にきらめく星々。季節が移り変わり盛夏のような煌びやかな星は少なく秋の夜の控えめな輝きが目に映る。
既に昇っているはずの秋の一つ星は、この場所からは木々に邪魔されて見えぬようだ。
留三郎はふぅと息を一つ吐くと、背中を預けていた柱からずらして、とさりと床に寝転んだ。
じんわりと四肢が重い。先ほどまでの自主鍛錬の疲労が徐々に末端から中心へと侵食してくるようだ。重い手を眼前に持って来れば、手の甲に僅かな引っかき傷。それをぺろりと舐めて再び床へと投げ出した。
暑すぎず、寒すぎず、夜になっても過ごしやすいいい季節は、逆言えば心地が良すぎて別の誘惑が生じてくる。

― 目、閉じたら寝そう

別にそこまで過酷な鍛錬をしていた訳でもないが、昼間いつもの相手といつもの喧嘩を派手にやらかしていたのと、前日に朝方近くまで用具の修繕をしていたのが効いたらしい。動いていればあまり感じることのない疲労がこうして横になっているとじわじわと溢れてきた。

「いっけね」

このままでは本当に寝入ってしまいそうだと、授業でやったばかりの兵法を頭の中で暗記し始める。
脳裏に様々な事態を思い浮かべそれに対応する戦術を当てはめていけば、眠気はどこかへと飛んでいくだろう。
そうして、一刻ほど経っただろうか。
一陣の風が吹き、周囲の木々がかさりと葉音を立てたその瞬間に。

「わりぃな、遅くなっただ」

足音一つ立てず、降り立つ人影。留三郎はそれに警戒すらせずに寝転んだまま視線を向けた。

「別に、遅くなどないだろ。こうして寝転がって待ってられる程度だ」

「オメー、それ充分嫌味か?寝転ぶ程待ちくたびれたってよ」

「あ?いや、そんなつもりは無かったんだが…すまん」

留三郎としては、怠惰に寝転がって居たから待つのも苦ではなかった、程度の言葉だったのだが、不愉快にさせたかと慌てて肩肘をついて起き上がる体制に入った。
そんな留三郎を制し、あっという間に己もその隣に座り込む。

「ああ冗談だ。そんな本気にとんなって。まあそうゆーとこも、おめーさんらしいけどな」

「…与四郎…お前な…」

体重をかけていた肩肘から、再び力を抜いて倒れこむ。両の手は今度は頭の下に敷いた。

「おい、留三郎。お前なんつーかっこだよ。無防備にも程があんベー」

寝転がるだけならば咄嗟に体勢を整える事は訓練された忍であればできるだろうが、両手を頭の下に組んでしまうと反応は遅れる。
忍のたまごとしては、言語道断な姿勢で寝転がる留三郎に、さすがの与四郎も呆れた声を上げた。

「うるさい」

「なんだべー、からかったの拗ねてんのか?」

へらっと笑ういつもの笑顔を下から見上げて、その笑顔の更に後ろに輝く光が見えるのに留三郎は薄く笑った。
ご機嫌斜めかと思えば、こちらを見上げて笑う留三郎に何事かと思いつつ、その顔が好きだなあと屈託ない男は率直な感想を心で述べた。

「空見てみろよ」

あごで、くいっと示されて後ろを振り返れば。
いつの間にか姿を見せていた月の姿。

「あー、もう出てきたかあ。んーと三日ばかし欠けてっか?」

「そうだな」

留三郎からは、与四郎が月を背負って座っている様に見え、与四郎からは、留三郎が月の光を浴びているように見える。
互いにそれを、目を細めて堪能しているだなんて気付かぬほどにそれぞれが夢中になっていた。

「…月が明るいからな」

「んだな。この時間は…」

月が照らすこの間だけは、忍としてのしがらみは置いてくる。
ただ月を楽しむだけの者となる。

 

ああ、だからか。だから、頭の後ろで手など組んで無防備に。
ここに来るのに遅れた理由は忍びとして聞かないし気にもしないけれども、月が出たからにはそんな事も全て関係がないのだと、そう言いたくて。
与四郎はそう悟ると笑みを殊更深くした。

「何笑ってんだ?」

「いーや、なんも?」

そうは言いつつも笑みは止まらない。
ふんっとそっぽを向いてしまった留三郎に更に笑って、それから両腕を後ろについて月を眺めた。

「あー、いい月だなあ。っわ!」

不意にその片方の腕を払われて、バランスを崩して後ろに倒れこみそうになる。

「何すんだー!」

「油断大敵火がボーボーってね」

にやりと笑っていけしゃあしゃあと言ってのけた留三郎。

「こんにゃろが」

与四郎も笑って、身体を支えていたもう片方の手を自ら退けた。ばったーんと大げさに倒れこんで手も足も伸ばしきって。
完全にだらけた無防備な姿を晒す与四郎と入れ替わりのように留三郎は上半身を起こす。
先ほどとは逆転し、今度は与四郎が月を背負う留三郎を見上げる形となる。
綺麗だなあとやはり素直な男は感じて、転がったままもそもそと動き出した。

「おい…」

何をしだすかと思えば、あっという間に留三郎の膝の上に与四郎の頭がのせられる。

「膝貸せー」

最初から拒否されるなんて微塵も思っていない風に宣言されれば、留三郎は盛大なため息を一つ吐いて、彼の頭が上手く納まるように体勢を整える他はない。

「馬鹿か…」

「馬鹿でえーよー」

にっかりと笑って。
腕をすっと伸ばして留三郎の頭をするりと撫でた。
それから、ゆっくりとそのまま手を下ろすが、必要以上の力はかけていない。それでも留三郎の頭は与四郎の腕と同じ速度で降りてくる。
押される事もなく、離れる事もなく、同じ速さで与四郎の顔へと近づいて。

  

無となった二人の距離に、木々の上から月光が降り注いでいた。

 

 


最後の寝待は遠距離恋愛のお二人でした。
微妙に月夜の〜とリンクしてます。個人的にこの二人は月下が似合いそうだと。
なんとか、秋の五夜月見をクリアする事ができました。お付き合いくださいました方ありがとうございます。