壁にあいた穴を修理してくれと言われるのはいつもの事。

時間も丁度良かったので用具委員会総出で現場に赴いた。
「こりゃまた見事な穴だなあ」
と、暢気に笑って用意してきた当て板を地面へと置く。梯子を押さえるのはしんべヱと喜三太。工具入れを持つのは平太で、そこから適した道具を選んで留三郎に渡すのは作兵衛の役目だ。
さてそれでは作業に入ろうかと、梯子に登った留三郎を後輩達が目を皿のようにして見守っている。
 
「…あ…」
「どうしました?」
 
まじまじと壁の穴を見て声を上げた委員長に作兵衛が声をかけた。梯子の上から、「んー」などという声が返って来たが、それ以上の説明はなく、道具を要求する事もないまま留三郎は穴の周りの板を素手で剥ぎ取り始めた。
下であっけにとらえたままその作業を見ていた下級生達であったが、はっと気が付いたように作兵衛は、はぎとった板を受け取って邪魔にならない場所へと置いていく。数枚板を剥いだところで、留三郎は梯子を降りてきた。

「作、ちょっと見てみ」

苦笑しながらちょいちょいと広がった壁の穴を指差すので、言われたとおり梯子を上ってその箇所を見に行くと、先ほ
どの留三郎と同じような声を出してしまった。

「うわあ、こりゃ、ひでえですね」

眉を寄せ、口をあんぐりと空けて再び地面へと降り立った作兵衛に食満も笑った。

「どうしたんですかー?」
「なおさないんですか?」
「穴ひろがっちゃいましたね」

口々に尋ねてくる一年生に、三年生と六年生は丁寧に説明をしてやるのだった。

「あの壁な。穴開いてるとこだけじゃなくて、その奥からかなりの範囲で板が腐ってたんだ」
「だから、弱くなって穴が開いてしまったんだろうな」
「ってことはー?」
「勿論穴は塞がないとならないんだが、持ってきた板だけで足りるかどうか」

まったく修理用の板だって大した余分がある訳でもないのになあと、例によってどこぞの会計委員長の顔に頭の中で拳を叩き込みながら、やれやれと肩をすくめる。

「とりあえず今ある分だけで作業して、足りなくなったらまた持って来よう。じゃ、作業はじめるぞ〜。皆頼むなー」

「はーい」

元気の良い返事が響き、再び作業が開始される。自分達に与えられた役割をこなしながらも、手際よく修理を進める留三郎の手元をじっと見つめて、感心して目を輝かせたりその技を見習おうと目に焼き付けたりしていた。

「ああ、やっぱり足りないな」

作兵衛が渡した最後の板を打ちつけながら留三郎がため息を吐く。足元の板はもうないが、穴はまだまだ広がっている。

「悪いが、作。倉庫から板を持ってきてくれ」
「はいっ」

どのくらい、とは言わなくても作兵衛ならばおおよその検討は付くだろうと、留三郎の出した指示は簡潔だ。
その意図が分かったから、作兵衛も敢えて尋ねる事は無く修理箇所に目を走らせる。

「あ、しんべヱも一緒に行って手伝ってくれ」
「はぁーい」
「しんべヱは力持ちだからなー頼んだぞ」
「はいっ!」

確認を終えた作兵衛の後ろをしんべヱが張り切って付いていく。ちょこちょこと付いてくる後輩を見やりながら、あの先輩はこう言う所が後輩を扱うのが上手いとと思う作兵衛だった。

「そしたら、二人が戻ってくるまで…、こら喜三太余所見する…」
「あ、なめさん…って、あれえええ〜〜」
「喜三太っ!」
「あ、あぶなっ」
「平太っ」

しんべヱが出かけた時点で梯子は下りていた留三郎ではあるが、結果的に作業を一時中断したために喜三太の集中力が切れてしまったようだった。
いつものように、目ざとく見つけたナメクジに走りよろうとする。
ところが、いくら立てかけてあったとはいえそれまで喜三太の手で押さえられていた梯子が支えの一部を失って倒れこんでしまった。最悪な事に倒れてきたのは喜三太の方向。
慌てて留三郎が喜三太を庇おうと動いたが、それと同時に目に入ったのは、喜三太の後ろにいる平太。驚いた平太が手に持った道具入れを取り落とすのがまるで時間の流れが変わったかのようにゆっくりと見える。
咄 嗟の判断で、喜三太の襟首を掴み倒れる梯子の圏外へと引きずりだす。その勢いのまま平太へ手を伸ばすが、その足下に散らばった道具があり喜三太のよう に引きずる訳にも行かないので少々強引に持ち上げた。その時に己も足下をよけたためにおかしな体重がかかったが、その反動を利用して平太を引き寄せる。
次いで落ちて来た梯子はそのまま背中で受け止めて。

「っ!」
喜三太がへたりこむ方へ梯子が落ちないように上手く転がした。

「二人とも大丈夫か?」
抱き込んだ平太と、横に転がる喜三太へと視線を落とせば。目をまんまるに見開いたまま固まっていた二人が堰を切ったようにしがみついてくる。

「せんぱーい」
「ご、ごめんなさいっ」
「あー、どっこも怪我してないな?なら良かった」
とりあえず平太をおろし、転がった梯子をきちんと直す。それから散らばった道具を三人で片付けて。
「喜三太、いろんな所に気を配るのはいいけど、それに夢中になって他の事がおろそかになるのは駄目だぞ」
「ごめんなさい」
「ほら」
「あ、なめさん!ありがとうございます」
先ほど喜三太が取り損ねた蛞蝓を指に乗せてやれば、嬉しそうに微笑んで。
「平太も慎重なのはいいけど驚きすぎたら台無しになるから」
「…はい。ごめんなさい」
「先輩。梯子あたった所、大丈夫ですか?怪我してませんか?」
「ああ大丈夫だ。ほら」

ぐるぐると、梯子を受け止めた肩をまわしてみせればほっとしたように二人はもう一度頭を下げる。
とりあえず一段落着いた所で作兵衛としんべヱが板を抱えて戻ってくる。何かがあったらしい事を察して作兵衛が訪ねるが、留三郎は笑って何でも無いと流すと、二人に礼を言って板を受け取った。

「ああ、この量なら十分だ。多すぎもしないし作兵衛の見立てはさすがだなー。それに、しんべヱはこんなに持てるんだなー。これじゃ作兵衛も助かっただろうな。二人ともありがとう」

笑顔全開でほめられて、二人とも顔を赤くする。照れてる場合じゃないと分かってはいるがどうしても頬が熱くなる。

ー ったくこういう所が、適わねえんだよな 

心の中でそっと独りごちて作兵衛はそれ以上追求するのを忘れてしまった。
それからは作業は順調そのものだった。予定よりは修復範囲は広がった物の、留三郎の鮮やかな手腕と、用具委員会のチームワークであっという間に穴は塞がって行く。作兵衛の用意した追加の板も余剰すぎる事も無く奇麗に使い切って作業を終えた。

「よし!ご苦労さん。あとはこれ片付けるだけだな」
「あ、俺持ちます!」
「いや、いいよ。しんべヱと喜三太はこのあと土井先生の補修だろ?平太も斜堂先生の夜間の授業があるんだよな。作兵衛は明日テストだって言ってただろ。俺が片付けておくから皆はここで解散していいぞ」
「はいっ」

威勢のいい返事をした後輩達が走り去って行くのを笑顔で見送った後に足下の用具箱を手に取って歩き出す。
倉庫まで歩く留三郎の重心が片足だけにかかっている事に気がつく者は誰もいなかった。
 
 
「で?」
「…伊作、声にとげがあるんだが」
「そーお?とげを感じるような自覚でもあるのかな?」
「痛たたたた!」

足首に巻いた包帯をぎゅーっと強く引っ張ってから伊作はきっちりと緩まないように留めた。その手腕は見事だが、そこに至るまでがどうにも恐ろしい。

「はい、終わり。当然だけど今晩の自主鍛錬、および明日の実技は禁止」
「ええー!」
「当たり前だろ!」

まったくもう、と睨まれて肩をすくめた所に、医務室の扉が勢い良く開いた。

「それはちょうど良かった」

医務室は静かに!と言おうと振り返った伊作は、入って来た人物を見て注意はせずにすっと場所をあける。
一方の留三郎は気まずそうに瞳を逸らした。

「やあ仙蔵。いらっしゃい。お前は怪我した訳じゃないよね?」
「勿論だ。留三郎を引き取りに来たんだが」
「あー、はいはい。診察結果は聞いてたよね?」
「ああ。まあ今晩ふらふらと鍛錬に出られないのは好都合だ」
「俺を無視して話を進めるな」

ふてくされたような留三郎にも構う事は無く、仙蔵はどっかりと伊作が空けた場所に座り込む。

「それで?診断結果は聞いたが、原因は聞いてないぞ」

有無を言わせぬ口調に留三郎は伊作に助けを求める視線を送るが、伊作は面白そうに笑うだけで助け舟など出す気もなさそうだ。この野郎と心の中で毒づいて留三郎はしぶしぶと、先ほど伊作にも説明をしたいきさつを話す。
 
 
「で?」
「…お前まで伊作と同じ反応するなよ」
「そうとしか言いようがないだろう」

心底呆れたような仙蔵の横で伊作もうんうんとうなづいている。

「大体、気を散らすなど忍としてなっておらんし、小心故の動揺もしかりだ。己らの修行不足だ」
「それはちゃんと、注意したって」

一応言い返せば横から伊作が口を出して来た。

「留三郎の事だから嘘じゃないだろうけど。どう注意したかも目に浮かぶようだよ」

そう言われれば何も言い返せない。確かに強い事は言わなかった。

「でも、だからって上級生の責任として放っておけはしないだろ」

確かに彼らの自業自得で起きた騒動ではあるが、それを目の前にして放置する分けにも行かない。自分が取ったのは正しい行動だと思う。

「お前は、手先は器用だが、割り振りは不器用だな」

しかしそんな主張も仙蔵によって一刀両断される。

「ああ、分かる気がするよ」

やはり横から口を挟んだ伊作は、しかしそれ以上は言及せずににこりと笑って二人を追い立てた。

「さあ、他にけが人くるかもしれないからね。治療が終わった人は出てく。留、今夜は絶対無茶しない事。無茶したら明日君の後輩達に言いつけてやるから」

ぐっと黙り込んだ留三郎に、「いい格好しい」と笑顔で追い打ちをかけ、伊作は医務室の扉を閉める。
ぴしゃん、という音と同時に仙蔵からも「アホ」という言葉が降って来た。

「うるせえな」
「まったく。本当にお前は後輩馬鹿だ。さっきの話だが、確かに放ってはおけんとしても、不注意、小心、責任と三者痛み分けにすれば良かったのだ。お前がすべて背負い込むことはなかっただろう?第一それでは当人達も学ぶまい」

仙蔵の尤もな言い分に、ぐうの音も出ないが、それでも。

「甘いってのは分かってるよ。だけど…。しょーがねーだろ、体が動いたんだ」

口を尖らせた留三郎に仙蔵は軽くため息を吐く。けれどもそれは呆れや怒りのため息ではなく。

「まあ、お前がそういう奴だとは分かっているが。では私がその分後輩連中には厳しくしてやろう。特に福富と山村にはとくと言って聞かせてやる」
「お前、そこは私情入れるなよ」

仙蔵の言い草に笑いながらも、留三郎はなんだかんだと己を理解してくれて補おうとする仙蔵を敬愛のこもる目で見やった。仙蔵もそれを視線だけで受け止めて口の端で笑う。
 

「ところで、お前さっき俺が夜の鍛錬禁止されたの、都合がいいと言ったな」
「ああ、そうだ。少々用があったんでな。ふむ。その足では屋根に上がるのは無理か。伊作も怒るだろうしな。まあいいか。留三郎、部屋へ行くぞ」
「あ?なんだよ。ちょ、待てって」

質問したのに、ろくに答えを得られぬまま、留三郎は仙蔵に肩を貸されたままに引きずるかのように彼の部屋へと連れて行かれてしまった。
当然のように同室の文次郎は部屋にはおらず、そうしてなぜかふすまをすべて開け放したまま仙蔵は部屋に入って座り込んでしまう。自ずと引っ張られるように共に座り込んだ留三郎の怪我をした足をかばうようにしてから、仙蔵はにこりと笑いふすまの外を指差した。

「え?」

つられるように視線をやれば。
そこには、満月まではまだ少し足りない月が昇っている。
まんまるではなく、少しひしゃげたような形をして、金色にほっこりと輝くその姿はまるで。

「ああそうか。今日は栗名月か」
「そうだ。十三夜だからな」

月が一巡りする前に仙蔵と共に月を眺めた。秋の名月は見事なものであるが、片見月は縁起が悪い。
もう一巡りした十三夜、栗名月を見る事で翌年の豊穣を願い、また一年の息災を祈るのだ。

「ま、早速怪我してるけどな」
「我々に毎日無傷は難しいな。けれどそのおかげで今宵留三郎を捕まえられたと思えば怪我の功名だ」
「俺はそんなにお前から逃げているつもりはないが」
「まあ、私はお前に対しては足るを知らん男だからな」
「…抜かせ」

仙蔵の叩く軽口に応戦しているうちに、まぎれて何やら恥ずかしい事を言われた気がした。
人の悪い笑みを浮かべている仙蔵から、視線を外して空に輝く月を見る。
その名の通りまるで金色に蒸された栗のような形の月。

「しんべヱが見てたらよだれ垂らしてそうだな」

そうつぶやいたら、隣から小さく「後輩馬鹿」という声とため息が聞こえて来た。

「しょーがないだろ。そう思ったんだ」
「ああ、分かった。お前の頭からは後輩を閉め出す事はできんのだな。ならばその代わりに、私の頭の中をお前でいっぱいにしてやろう」
「…アホ」

今の台詞で留三郎の頭の中が仙蔵でいっぱいになってしまった。どうせ思惑通りなのだろうと、相手を睨めば、してやったりの表情が憎たらしい。
互いに何も言わず、再び月を見上げる。
どこからか、伸びのある歌声が聞こえてきた。

「……誰だ?」
「どうやら月見をしているのは我々だけではないようだな。‥‥‥豊穣祝歌か、風流な」
「ああ。しかも綺麗な歌声だ。一体誰だろうな」



より注意深く聞こうとして目を閉じる。どこかで聞いたことがあるようなその声が誰のものであったか記憶を探ろうとするが、それを探し当てるより先に留三郎の意識は別の感触へと持っていかれてしまった。

「ちょっ!おい、仙ぞ…」

慌てて目を開ければ、己の首筋にぴたりと顔を寄せる仙蔵が見える。ご丁寧に腕がしっかりと身体ごと抱きこんでいて怪我をした足では逃げ場は無かった。
その体勢のままちらりと上目遣いで睨む仙蔵の顔が怖い。

「まったく…月と私のことだけ考えろと言っておるのに」
「だ、だって…しょーがねーだろうが気になったんだから!こらっ、やめっ…っ」
「やれやれ…土井先生の歌声にも困ったものだ」

悪戯をしかけながらも留三郎の気になって仕方の無いことをさらりと告げる。

「え?あれ土井先生…か?ああ、言われてみれば…」
「確かに見事な歌声だからな。どうやら他の者も騒ぎ始めたようだ…」

さあ、これでもういいだろうとばかりに仙蔵は留三郎の耳元へと口を寄せる。もう他の音など耳へ入れる事を赦さぬように。
ひくりと大きく身体を震わせて。それから静かに留三郎は瞳を閉じた。
仙蔵の声以外の音はおろか、月の光すらも思考から締め出して。
頭の中全てが彼で占められる様。

 

 

いつの間にか歌声は途絶え、代わりに子供達の声も混ざった童歌が聞こえてきたがもう二人の耳にはそんなものは入らない。
十文字星の見下ろす空に浮かんだ栗の月が、ただ学園を静かに照らしているだけだった。

 

 

 おまけ → 豊穣祝歌(土井&1年は組)

 



甘い仙食満は恥ずかしい。
足るを知らない→仙蔵は留に関してだけは貪欲すぎてどんだけ手に入れても満足しません。
そんな仙食満